小中学校ではフェイスシールドをして授業を再開している自治体があるそうですが、マスクを着けて、フェイスシールドも着けてというのは、あまりにも過剰すぎると思います。私は、既にマスクも手放しておりますので、見ているだけで暑そうだし、苦しそうだし、ストレスがたまりそうです。

これを決めた自治体の学校においては、否が応でも全員着用しなければならず、生徒の自由意志は認められないので、こんなもの"着けたくない"と思っている生徒にとっては辛いでしょうね・・・。

<テレビ西日本より>

臨時休校が続いていた福岡・粕屋町の小中学校では、すべての児童や生徒らに対し、「フェイスシールド」を配布して、授業を再開した。

生徒たちの机に配られた透明の板、飛沫(ひまつ)を防ぐための「フェイスシールド」。

粕屋町教育委員会は、25日に授業を再開した町内6つの小中学校すべての児童や生徒、教職員に対し、感染リスクを減らすためのフェイスシールド、およそ5,400個を配布した。

このうち粕屋中学校は、校内では、給食と体育の時間を除いて原則着用とし、生徒たちが下校する前に消毒をして、学校で保管することにしている。

生徒たちは、「マスクもするから少し暑いけど、感染対策できるからいいかなと思います」、「コロナに負けないように頑張っていきたいです」などと話した。

これから本格的な夏を迎える中、フェイスシールドの使い方について、学校は「生徒の体調に応じて、暑さ対策など柔軟に対応し、生徒や保護者の安心につなげていきたい」としている。

愛知県みよし市・4つの市立中学校では、少人数のクラス分けが難しいため、生徒と教員が飛沫感染を防ぐ「フェイスシールド」を着けて授業を行うことを決めました。

 

学校教育の根本見直しを

長期にわたる休校によって、教育の現場は混乱を極めているそうです。

教師たちは、遅れた学習を取り戻すために行事を削減したり、学習スケジュールの立て直しに苦労されていると思いますが、無理に詰め込みすぎることになると生徒が苦しくなるのではないでしょうか? 詰め込んで実施して、仮にやりきった感があったとしても、それで楽しいでしょうか? 本当に幸せでしょうか? 子供たちの心の問題はケアできるでしょうか?

今だからこそ、教育の場とは何かを根本から考え直す時期かと思います。

上記のフェイスシールドのように、感染防止対策を徹底するという考え方もありますが、学校でのリスクはコロナだけではなく沢山あります。熱中症もあるし、様々な災害もあるし、そもそもリスクを"ゼロ"にすることは出来ないのです。

必要なのは、トータルのリスクを減少させること。その上でどう考えるか、どうバランスをとるかが重要だと思います。

 

今回の件は、教育現場のことをあまり知らない私達にも学校の問題点を知る機会となったし、当事者の皆さんにとっても、様々なことをゼロから見直す機会を与えてくれました。

・子供たちの心の問題

・オンライン体制を整える(第2波・第3波があるかもしれないし、他の病気や災害もある)オンラインを整備しておくことは大事。学校の体制だけではなく、家庭のパソコン事情もある。パソコンが無い家庭にはハード面での支援も検討する。オンラインはあくまでも緊急手段であるが、逆に不登校の子供には良いかもしれない。

・休校時の給食問題(給食を頼りにしている子供たちにどう対応するか)

・教育は、より弱者に、苦しんでいる子供に目を向けて考えることが大事。

・来年の受験の在り方も早急に判断を→試験範囲を狭める等の対応もある。米国では1年間休学する"ギャップイヤー"も普通にあるそうなので、日本でも普通にあっても良いかも。

・今まで思考停止になっていたこと、疑問にも思わなかったことに対して、皆が思考し始めた。今まで当たり前にやっていたことにも疑問が出てきた。改めて考える良い機会・チャンスです。この機会に全員が根本に立ち返り、古い常識や考え方は脱ぎ捨てて、新しい"教育の場"に必要なもの・不要なものを考えましょう。そして自由に意見を出しましょう。

 

■教育とは何か

→学習する場、自ら学びたい人たちに学ぶ手段を与える場。すべては本人ありき。

それを提供するのが学校である。

人間として一番大切なこと "自分で決めること"を「是」とすることを教える。

人間は、人間として本来、自分で考えて、決めて良いのである。

仕事でも何でも、自分で決められないって、楽しくないですよね?少なくとも私はそうでした。

"自分で考える" "自分で判断する"ということを排しているのが今の学校。当然、自立心のある子供を育てられない。

「右へ倣え」 今も昔から変わっていない。

→6月より分散登校を開始し、小人数で授業をするらしい。先生は同じことを何度もやるのでしょうか?コロナだからしょうがない?教育委員会の指示だから仕方がない?本当に?

これをみんながやると、逸脱できない強烈な"同調圧力"になる。今の学校は"何故"を問うことを許さない雰囲気になってはいないでしょうか?それは、まさに思考停止の典型的な見本を示しているようだみんなが思考停止する社会。何故を問わない社会。みんな"コロナだから"で思考が止まってしまう。それが"正しい"と考えて全員一致してしまう社会。

→こんな社会、怖くないですか?

→「フェイスシールド」こんなこと本当にやる必要あるの?まずは教師が自分で考えて、自分の心に従って声を上げなければ、学校は変わらない。疑問に思う事、常識や当たり前とされている事を勇気を出してどんどん問うことから始めなければ。

 

私の個人的な記憶では、中学校から"個人を四角い枠にはめていく"ような全体主義的な教育が強くなっていったように思います。

でもその頃に、自分は声を上げることが出来なかった。その代わりに尾崎豊が声を上げてくれた。だからみんなが共感した。

そして、尾崎を聴いていた世代にとって、今の時代は再び「卒業」が聴こえてきます。

「~♪仕組まれた自由に誰も気づかずに、あがいた日々も終わる。この支配からの卒業♪」

いよいよ人類は、"彼ら"による支配からの卒業が実現されようとしてます。