注意喚起のため、寄せられた情報の中からもう一つ悪質なのを記しておく。福島県内の方から匿名で寄せられた文書による報告だ。裏付けは困難で報道はしていないが、この高齢者とみられる方があまりにもひどい詐欺に遭ったと思われるので、どこかで次の被害を防ぐことにつながることを願う。

 

 以下、この方を「●さん」とし、文書の内容を要約すると―


 ●さんの自宅は東日本大震災で瓦屋根が損壊し、雨漏りするほど傷んだ。そこに「県外から来て最近、市内で仕事を始めた」と、業者を名乗る2人組の男がやって来て、屋根の補修を申し出た。●さんは、応急措置すら業者に依頼するあてもなかったので、わらにもすがる思いで頼んだ。最初はシートを掛ける仕事だけ依頼したが、2人の口車に乗せられてトタンにふき替える工事もやってもらうことになった。


 ところが、その段階からいっこうに工事は進まなくなった。2人組は朝8時半ごろやって来るが、9時すぎまではたばこをふかすばかり。ようやく作業を始めたと思ったら10時から1時間、休憩に入り、また屋根に上って何かをしたような仕草をすると、正午から1時間半たっぷり昼休み。次いで3時からまた1時間休憩するというような具合。天候がぐずついた状態が続いたが、この時間割はきっちり続いた。   …以上


  「このような悪徳業者には引っかからないように」などと注意を促す文面から過去の話のようにも受け取れるが、「少なくても、よその3倍くらいの日数はかかっている」とあるので、もしかしたら2人組はまだ通っている可能性もある。


 2人組の行動を点検すると、万が一の際の逃げ道がいろいろ用意されていそうだが、詐欺のにおいもプンプンだ。しかも、代金をその都度払っているようでもあり、振込先は横浜だという。「振り込め詐欺」の被災地版の疑惑が強まる。●さんがどこに住んでいるかが分かれば、真っ先に警察署に通報するよう助言したい。


 地元の建設業者は、その業者にかつて自宅建築を依頼した「お得意様」への対応で、どこも猫の手も借りたい状況が続いている。「お得意様」がよその町に多ければ余計、地元での新たな修理依頼をさばき切れないのが実態である。このため県外から多数の業者が入り込んでいる現状も聞く。もちろん、悪質なところはそうはないだろう。それどころか、●さんの所に来ている2人組は「にせ者」の可能性が大だ。「無能」と書く集団が資金源にしていることも考えられる。


 とにかく、被災地ではあらゆる「虫たち」が蠢(うごめ)いている。 人類史上、まれにみる大震災。中でも放射性物質の拡散は誰もが断定して答えを出せない未知の被災である。除染活動も実験でしかない。そこにビジネスチャンスを見いだし、さまざまな開発、研究を進めて新しい技術を生み出せばノーベル賞も夢ではない。しかし、被災者の窮状を食い物にするような「銭もうけ」は万死に値する罪だ。    (了)

 春が近づいてきた、という話ではない。震災後、特に脱原発に関するさまざまな情報提供があった。





 新しいエネルギー開発の一翼を担う風力発電。福島県内の山間部に電力関係の大手企業が風力発電の設備を建設するという。自治体にも話が通っていて、わが社の記者は担当職員から設置場所や規模、完成見通しなどを聴き出し、企業側にも取材を進めた。大手企業は「計画自体は否定しないが、決定までには至っていない。間に立っている機関があるので、そちらから聞いてほしい」ということで、福島市に事務所を置くその機関とやらに電話したが、留守の状態が続き、やっとつながったと思ったら「何も話すことはない」との回答。この段階で「眉つば物」と疑いをかければ良かったのだが、構想自体は自治体に確認してあったので自治体から聞いた範囲で原稿にした。





 ところが、記事が新聞に出た直後から、この機関の主(実際には男が一人でやってるようだ)から猛抗議の電話が連日、当方の事務所にかかってきた。いわく「どこに取材してこういう記事を書いたのか」「記事の内容はインチキだ」などなど。どこがインチキなのかと聞いたら「記事で中規模とあるが、大規模と書け」などとほとんど言い掛かりの世界。反論するが、いっこうに耳を貸さない。そのうち「本社に乗り込むから編集局長の名前を教えろ」に始まって、こちらが拒否すると、本社の編集局に電話して「編集局長に会いたい」と繰り返した。





 本社では「事の経緯が分からないから、そちらでもう一度対応してほしい」とこちらに返して寄越した。そこで、私自身が機関の主に電話すると「お宅はどういう立場? 偉くないなら話している暇はない」と言ってガチャン。だから何度もかけて真意を聞こうとするが、受話器を取る度にガチャン。十度目ぐらいに「お前と話すことはない!」と大声を張り上げてすごむから「こっちもだ!」と返してやった。以来、ここにも本社にも一切、電話はかけてこなくなった。もちろん、乗り込んできたということもない。





 後で冷静に考えてみると、どうも利権屋のにおいがプンプンだ。原発から60キロ以上離れたこの地でぐるっと見回すと、大きな風車を建設できそうな山はいくらでもある。たぶん、機関の主もそのうちの一つに目を付けただろう。そして福島第一原発に関わる大手企業に「罪滅ぼし」の風力発電建設の話を持ち掛けた。前向きな回答が得られたのを受けて、今度は自治体に話を持ち込んだ。ここまでは順調だった。あとは山林の所有者を確認し、相場よりいい値段を示して押さえる。いよいよ建設計画が具体化したら大手には「0」を一つか二つ増やして売る契約をまとめる。それまではマスコミに一切漏らさず、水面下で進める。とまあ、だいたいこんな筋書だろう。





 ところが、これが山林を押さえる前に記事になった。おかげでこの裏の土地転がしに暗雲が立ち込めたのだろう。それが抗議の理由である。事実、その後この計画は棚上げになりそうな気配だ。





 笑うに笑えない話をもう一つ。サンゴ礁を粉末にして放射線量の高い土地にまくと、みるみるうちに数字が下がるという「魔法の粉」を記事で紹介してほしいという。これも間に立っている人物が福島市にいた。開発元の企業の社長はNASAの除染研究に携わった経験があるという。福島市の人物からそのパンフレットが届いた。社長の顔写真はサングラスにパンチパーマ。まさに渡世人であることを物語っていた。人を見た目で判断することは避けたいが、その経歴と照らし合わせてもどうもしっくり来ない。東京電力福島第一原子力発電所の一番危険な作業に携わっている人たちに身元がはっきりしないのが数十人いたという報道からすれば、NASAでも共通の面があるかもしれない。





 しばらく棚上げにしておいたら、福島県内で実証実験を行うという。その日、経営者はもちろん、福島市の人物も姿を見せず、事務担当という中年女性と、話を聞き付けた地元の政界関係者が立ち会った。まず畑の放射線量を測定した後、粉末をまいて測定したら、線量はほとんど変わりがなかった。むしろ増えたりした。こうした試みを実施したという事実のみを紙面で紹介したが、その後、関係者からの連絡は途絶えた。掲載された記事を持って、どこかの自治体などで売り込んでいるかもしれないと思うと、だまされないことを願うばかりである。





 ほかにもあるが、この辺で。「善」か「悪」かは紙一重かもしれない。降ってわいた、もうけ話や「劇的な効果」をうたった売り込みには乗らないのが一番である。 

 未曾有の災害をもたらした2011年が終わろうとしている。こう書くと「原発災害は終わりがない」と、とんがる人がいるかもしれない。その通りである。一方で政府にしても、東電にしても早く「この一年」が終わってほしい気持ちでいっぱいだろう。年が変われば、とんがった気持ちの人たちが何となく落ち着いてくれるだろう。何を言ってもとんがってくる矛先が緩むだろう。そんな深層心理ではないだろうか。でも、そんなはずはないのである。なぜなら年が変わればもう一度、「3・11」が来るから。


 福島県の被災地周辺の人たちは、いまだに古里に戻れない。戻っても、おびただしいがれきの山や残骸(ざんがい)が忘れさせようとしない。いくら避難先での生活に慣れようと、新しい交友が広がろうと、「古里」という二文字が浮かぶと同時に壮絶な記憶がよみがえるだろう。宮城や岩手では一部で「復興特需」が始まったという。飲食街も高歌放吟する喧騒(けんそう)があちこちで聞こえているという。しかし、そんな話を聞いてもどこか物悲しい。たぶん一時的なものだろうし、多くは複雑な思いを引きずったままだろうから。


 裏腹に東京や大阪など大都会では、東日本大震災や原発事故が「過去の出来事」になろうとしている。あれほど、かまびすしかった「脱原発」「反原発」の主張はかげを潜めようとしている。そして「危険」を標ぼうしていた研究者や専門家たちがテレビ画面から消えた。大手マスコミが取り上げようとしないからとか、自主規制という批判があるが、それは違うと思う。確かに震災以前は「安全神話」をつくり上げてきたのは事実だ。しかし、発生後に情報統制があったとか、政府との密約があったとかはデマにすぎないだろう。むしろ、取材姿勢が甘いということに尽きると思う。現場の記者たちが真実を知っても書けないことは山ほどある。しかし、それが政府から圧力があって書けないとか、東電から破格の広告料をもらっていて本当のことが書けないなどの理由からではないだろう。むしろ、国や東電の情報統制は体質的に存在すると思うが、マスコミはそれ以上の事実を突き止めようがない、疑っても追及する根拠を見いだせないということだろう。


 事故後の原発の状況について国や東電が説明したことに対して容易に疑うことができたとしても、それを否定する専門家たち自体が信用できなかったのである。なぜなら以前から理論的に原発の危険性を指摘していた専門家がどれほどいたか分からないが、少なくてもその研究は的外れなものばかりだろうから。つまり、誰も真実を突き止めようがなかった。原爆は危険だが、原発は単に「核の平和利用」であってそれ自体が危険をつくり出すものではないから。


 原発事故が風化しようとしている大きな理由は、何も野田首相が無理やり「収束宣言」をしたからだけではない。現時点で放射性物質の拡散が日常的なことでないことが分かってきたのもあるだろう。それでも、相変わらず放射線量の数字が紙面に踊る。大半が基準を下回っているにもかかわらず、「除染」が大きなテーマになっている。それを国会の委員会で涙ながらに訴えた東大医学部出身の研究所長のおかげだろう。莫大(ばくだい)な費用が日々つぎ込まれている。被災地は当然と主張する。しかし、そのために消費税が上がる。電気料金が上がる。どこか(福島のせいだ)というつぶやきが聞こえてくる。


 福島県知事は県内の原発すべての廃炉を打ち出した。しかし、それには原発立地地域の一部首長が異を唱える。「失われる何万人もの雇用、生活を誰が支えるんだ」と。中間処理施設も、ましてや最終処分場も「県内はあり得ない」と知事は以前、強調した。それが、中間処理施設は「立地町とよく話し合って決めることだ」と変化した。最終処分場はまだ「県外」にこだわっている。だとすれば、どこに持って行ける可能性があるのだろう。「県外移転」の言質を盾にするどこかの知事と似ている。


 もはや県民も一枚岩ではない。それが「収束宣言」を急がせた背景になっている気がしてならない。補償金に一喜一憂している場合ではない。県民の一人として少しでも風化を食い止めるために考えたのは、「収束」した原発周辺に、宮城、岩手、茨城、千葉を含め復興事業だけを手掛ける「震災復興庁」を建設すること、原発事故を永遠に記憶に刻むために、爆発した外観をそのまま残して「原発ドーム」をつくり、安全な場所から見学できるタワーを建設することだ。