8人の同期ができました。右も左もわからず、泣いたり、笑ったりしながら横浜の病院に勤めました。4年経って、もう少し産婦人科の事勉強したいと思い、周産期センターの病院へ転職を決意
ここがまた、とんでもない軍隊病院で…とにかく先輩が怖い腹の中、何を考えていらっしゃいますか?といつも申し送りは、先輩が納得するような言葉を並べて伝える、それが仕事の目標になっていました。何しにここに来たんだっけ?こんな「気を遣う」ことを学びに来たんじゃないのにな~とそれでも、どうにか1年過ぎたある日…
お産が終わり、その後のケアに入っていました、その日もこの産婦さんの経過をどう「先輩が納得するように送れるか?どういう状態まで産婦さんをもっていければOKか?」を必死に考えて、産婦さんに接していましたら‥‥。伝わってしまいました。産婦さんに…「あなた、私を見てないですよね、担当下さい」って言われました。
私それなにり、誠実な助産師だった、患者さんからもそれなりに評判良くて…だから誰に向かっていってんの?と立ち尽くしました。
やりたかった仕事、なりたかった自分なのに、今の私最低
勤務中なのに、涙がボロボロ恥ずかしい、こんなに泣きじゃくって…と何とか帰宅しました。それでも、次の勤務にはいかなきゃと思うけど、足が動かない、「病棟で泣きじゃくったから、みんなにどう思われるかな?」そればっかりで、何でこんな結末になったのか、考えることができませんでした。
結局、フェードアウト…退職
たまには、人に舵をとってもらう ゆだねてみる
しばらく、何もしなくても(当時付き合っていた彼氏)結婚してしまおうかな、適当にお弁当屋さんでも勤めようかな…。
ボーっとしている時、前医の先輩が「私が師長しているから、うちにおいでよ」って声をかけてくれました。何か変わるのかな?と思いながら、再就職…。「ちゃんとできなかった自分」を隠すように、負い目を感じながら最初は勤務してました。
でも、何かが違う。人に「寄り添う」ってこんなに自分も心地よいんだな~と初めて患者さんにケアをされたようでした。毎日が楽しくて、私生活でも結婚し、妊娠、第1子を出産、続いて第2子も出産でき、私の人生これからやとhappy一色でした。
こんな感じでも、うちん子はもっと可愛い
良かったインスタも遊びに来てね
娘らも登場⇩