昔話その13
金曜日は2本しか走行枠が無いので、チェックするにとどめておきます。
但し、予選日や決勝レース時の天候を考えて”雨用セット”も考慮しておかないといけません。
感覚的に、本降りになった場合は前後とも2㎏/mmバネレートを下げる方向で確認だけはしておきました。
そして予選の土曜日です。
朝ホテルから出ると、無茶苦茶生暖かい風が吹いています。
嫌な予感( ̄ー ̄;
予選が始まっても、その嫌な予感は哀しくも的中してしまいます。
エンジンの吹け(回転の素早い回りの事)が前日までに比べて重たいのです。
そしてストレートでのチェックポイント(その地点でエンジンが何回転回ってるか!をチェックしておきます)で見ても、明らかに2~300回転は回ってないのがわかります。
そして決定的なのが、プラグがカブリ気味な所です。(エンジン内でガソリンが完全に燃えてない証拠です)
それでも足回りのセットは進んでいたので、カバーしようと必死です。
あっと言う間の15分間が終わりました。
結果は12台中10位(´_`。)101トップどころか、6位入賞すら危うい状況です。
本当は走行後にエンジンとかプラグをチェックしたいのですが、車両保管が掛かっていて見る事が出来ません。1万円出せば特例で持ち出せるのですが、いつもギリギリの経済状況ではそれも儘ならず・・・
翌朝一番で保管が解除になった時点で、早速プラグを見るとスパーク部分が煤けています。
番手を8番から7番に落としてレースを闘う事になってしまいました。
日曜日の天気も相変わらず分厚い雲に覆われ、生暖かい風は土曜日よりも増しています。
「頼むから雨降ってくれんかなぁ~」と言う後輩との会話を後ろで聞いている人が居ました。
「yariよ、何でそんなに雨を降らしたがるんぞ?」MINEサーキットの”王者”「木下淳」さんでした。
エンジンの状態が芳しくない事、自分は雨が好きな事等を話していました。
「ところでyariは、ここ(MINE)に来る前はどこでレースしよったんぞ?」と聞かれたので、「中山サーキット」でデビューした事、マーチでチャンピオンになった事、「筑波サーキット」でコテンパンにやられて翌年リベンジ出来た事。それが雨の中のレースで予選7位からトップになった事を一気に話していました。
「ほうか、他の奴の事は大体わかっとるけど、yariの事は全然解らんかったけぇのぉ、ただただエンジン壊しまくっとる(´_`。)位しか思うとらんかったんじゃ。ほれなら、もし決勝が雨になったら後ろから”3番”(当時のゼッケン)が飛んでくるかも知れんのぉ」
「木下さん、雨が降ったら後ろまでは行きますからね!」
「おぅ。手荒な事はせんといてくれよ」
と言った話を10~15分位はしたでしょうか?
木下選手は、”王者”と呼ばれるだけあって、出るレースで殆ど勝利を収め、チャンピオンも毎年取っていた選手でした(と言うかまだ現役のバリバリです)。その妥協の無さは天下一品で、その時に一番優れたパーツを使用したいがためにスポンサーを取らず、メンテナンス先のみのマシンネームが特徴でした。
一方サーキット内ではそんな王者に気後れする人が多く、ちょっと浮いた存在であった事も事実で、私とそんな長時間話した事がちょっとしたニュースにもなった程でした。
事実、他の選手から「木下さんとあんなに長い時間なに話とったん?」と聞かれたものです。
でも、そんなニュース(?)が駆け抜けたサーキット上の天候は私の願い通りにはなってくれてはいませんでした。
PM0:30のスタートが近づいて来ました。
雨はまだ落ちて来てません。
続く