昔話その12
9月の13日と14日は、某ファクトリーの社長も全日本ダートトライアルに出場するので(2006年は一番小さい改造車のクラスのチャンピオンですよ!しかもダイハツワークスで)、「yariちゃん、ちょっと早目に出られん?」と言われたので、定休日だった水曜日にサーキットへ一旦入りました。
その頃は台風も沖縄の南の方にあったので、山口県は美祢市「MINEサーキット」も青空でした。
先ずは1本目!後輩と同じ位のタイムは直ぐに出ます。
「おっ!これなら足のセットを煮詰めれば、もうちょっといけるかも?」と色気を出した様な気がします(^~^)
但し、ここでもメーターとのニラメッコは続きます。
今回は社長が奮発して購入された「A/Fメーター(空燃比計)」を装着しての走行です。
「yariちゃん、このセンサー高い(金額が)から、絶対壊さんといてよ!」と脅されてます(;´▽`A``
2~3周走ってはパソコンを繋ぎ、燃調の山や量を微調整して行きます。
そして、3度目の走行枠に来た辺りでは、結構良い感じになっていて、タイムもベストを連発してました。
この時にビックリした事があったのですが、トヨタ車特有のエアフロセンサーはフラップ式(箱の中で扉が開いたり閉まったりして、その開度によって燃料等の調整に補正を入れていたのです)だったのですが、「MOTEC」にはエアフロの信号など必要としてないので、エアフロボックスの中のフラップを分解して取っ払ってしまったのです。すると3%も空気の流入量が増えた!とパソコンのデーターはハッキリと表示していたのです。
恐るべし「MOTEC」 まぁ今のモデルはもっと進化してるでしょうけど・・・
また、ブレーキパッドも「プロジェクトμ社」様から数セット、テストを兼ねて出していただいてたので、そのテストも行い良いフィーリングの物を見つけていました。
確か「HC-R」と「HC-チタン改」と、「637(シビックレース用を無理やり101に作り変えた物)」の3セットをテストしていたと思います。
その中では、「637」が一番フィーリングが良かったので予選・決勝まで取っておく事にしました。
そして足のセットを確認していた4本目、5~6周した頃にハプニングが待っていたのです。
なんと!シートのステーが折れたではありませんか( ゚ ▽ ゚ ;)
座高の高い私や後輩の為に、ブリッドのレールを改造して無理やり下げてたのですが、それがいけなかったのか、後ろ外側のステーが見事に折れていました。
それでも好タイムは出せていたので、シートとレールを外し松山まで持って帰る事にしました。
えっ!マシンは?って思うでしょ?
当時のMINEサーキットは夜間のピット貸し出しをしていて、フォーミュラーニッポンの使わないピットを水曜日と木曜日だけレンタルし、シャッターをしめて鍵をかけガレージ状態にしてしまったのです。(1泊¥2000)
そして、積載トラックは山口県側の港である「柳井港」の駐車禁止外のスペースに止め、社長さんと二人徒歩にて乗船したのでした。(これでトラックは1往復のみでOKです!何せ遠征費の一番高い金額が渡航費用でしたから!こうする事で1人位の宿泊費用は浮かせます)
勿論松山の港には迎えに来てもらってますし、夜中に送ってももらいますσ(^_^;)
そして、間の木曜日の仕事中に社長さんにステーを溶接してもらっておいて、金曜日の早朝、私と家内そしてヘルパーの後輩とシート君が徒歩にて船上の人になりました。
その頃には台風も沖縄に近づきつつあり、サーキット上空を時折り生暖かい風が通り過ぎて行きました。
続く