旦那さんをCatholicの葬儀にて
無事天国へ送り出しました。

ご近所にお住まいの
日本人のお友達の
皆様、お別れに来て下さり
ありがとうございました。
この場合をお借りして
お礼申し上げます。


旦那さんが亡くなり
毎日悲しくて寂しくて
しょうがありません。

いつもなら
何かの行事の時には
いつも隣で手を握ってて
くれてました。
アメリカの慣れない行事に
何をすればいいのか
わからず
オドオドしていたので
一緒にいてくれたのにね。
今回は隣にいません。
当たり前だけど。

沢山人が居るのに
彼の姿は何処にも無くて。
棺の中にいる旦那さんが
まだ信じられない
と言う気持ちで一杯でした。


でも一方で、ホッとしている
自分もいます。
旦那さんが死んでしまうんだ
と言う恐怖に毎日
怯えながら暮らしていたから、
その恐怖からは解放された。

今は新たな悲しい
寂しい暗闇にいるけれど。


4月に病気が発覚してから
マラソンを走っているかの
様な毎日でした。


4月に病気の事を救命センターの
先生と電話で話し
電話を切って5分以内に
自分の頭で余命一年無い
と思った。



あくまでも
文献上の話で
上手く抗ガン剤が効いたら
長く生き続ける人もいる。
個人差がある。
職場でシビアな現実を
見る反面、余命を超えて
生き延びている方がいるのも
知っている。

この現実を
何回も頭の中で言い続けた。

「旦那さんなら生き延びられるよ」

「どうしよう、時間が無い」

交互に思い続けた。

どんなに怖い映画より、
どんなに怖い夢より
生きている現実が
何より一番怖かった。

診断名を聞いたあの日から
生きてても楽しいと
思う日は無い。

旦那さんの様に生きたくても
生きれなかった方が沢山いる中
こんな事を言って申し訳無い。
でも愛する人が不治の病で
余命が 長く無いと知りながら
生きていくのは本当に辛い事。

そしてこれから先の
人生も考えるだけで
寂しい。
お友達が「私達がいるよ」
と言ってくれる。
とってもありがたい。
友達にも、家族にも頼る
けれど旦那さんじゃ無いと
やっぱりダメな事は
自分で向き合って行くしかない。
時間がかかるんだろうね。

今は母に日本から来て貰い
ベットが足りない分
(自分でエアーべット
作ればいいのだけど)
玉子は私と寝る。

私が旦那さんの寝てた位置。
玉子が私の位置。

二人とも寝相悪くて大変だけどね。

旦那さんは横向きじゃないと
寝れなかった。背中が痛くて仰向けには
寝れなかった。

今その横向きになり彼が見てた
壁や窓を見る。

どんな思いで毎日この部屋の景色を
見てたのかな?
私が背中さすっても
何の役にも立たなかったな。

子供たちは頑張ってます。
玉夫は2歳。何も分からないよね。
棺の旦那さんに
「daddy, daddy」って言った。

玉子は5歳児の受け止め方で
頑張ってる。
玉子はパパが大好きだったからね。

旦那さんが亡くなった日の夜
玉子に旦那さんの事を伝えました。
「パパは全力で病気と
戦ったけれど、パパは死んでしまったの」
と伝えました。

その時の玉子のショックな顔と
泣き叫んだことは一生忘れられないと
思います。

でも子供だから5分後には
義妹さんと遊んでた。


旦那さんが入院してからは
本当に忙しかったから
今はやる事が無くて
毎日毎日1日が長い。

来週から少しずつ
書類等の手続きを始めます。


旦那さん、
声が聞きたい
会いたいよ。

見ててね。