先日、ドンという音が聞こえ、

窓から外を見ると微かに花火の光が見えました。

 

本来なら東京オリンピックの開会式の予定だった午後8時に

全国各地で一斉に花火が打ち上がったそうです。粋です!

 

 

今年はコロナの影響でイベントがないのは残念ですが、

毎年花火大会に出向くことは自分の中で恒例になっています。

 

 

早めに会場へ行き

お酒を飲んだり焼き鳥を食べたりするのも

開放感があり楽しいです(^^)

 

 

小さい頃は

父が花火を間近で見るのが好きで

よく会場の前の方で鑑賞していました。

 

 

時には音が怖くて耳を塞いでいたり、

近すぎて灰が降ってくることも•••笑

 

 

でもやはり最後は本当に感動して

満たされて帰るのです。

 

 

(毎年の花火の進化を目の当たりにすることも

楽しみのひとつ!)

 

 

そして「私は人々に感動を与える花火師になろう」

と思うのです。(思うだけ笑)

 

 

何か一つの目標に向かって

1年間準備するところにロマンを感じます。

 

 

花火を通し

積み重ねてきたものや思いを感じてジーンときます。

オリンピックもまさにそうかも。

 

 

そこに(勝手に?!)自分を重ね合わせたり、

疑似体験させてもらえるから、

心が動き勇気がもらえるのかもしれません。

 

 

ありがたいのです( ˶˙ᵕ˙˶ )

私はどちらかというと

 

大勢の前で話すのが得意でした。

 

あまり緊張しないというか

 

緊張を力にすることが出来ていました。

 

 

 

大人になってからは、その場で要点をまとめて

 

3段落ちまで考える余裕があったくらいです笑

 

 

 

でも体調を崩すことがあり、

 

一人の人と話すのもきつくなりました。

 

大勢は余計ムリです。

 

これは私にとって

 

経験したことのないことでした。

 

 

 

もしかしたら、

 

今まで気付かずとも押し殺していた

 

不安や恐れが

 

一気に出てきたのかもしれません。

 

 

 

自分が変なことを言っていないかなとか、

 

人にどう見られるんだろうとか、

 

気にすることで頭が固まったり。。。

 

 

 

そして、そのおかげと言ってはなんですが

 

人前で緊張してしまい

 

話せない方の気持ちを知りました。

 

 

 

ある意味それまで

 

私は私を意志の力で、萎縮しないように

 

演出していただけなのかもしれません。

 

少し演技だった面もあったのかも。

 

 

 

良くも悪くも、それが出来ていたからか

 

特に小学生の頃は

 

緊張で声が小さくなるような子に対し

 

疑問を持ってしまっていました。

 

不甲斐ないです(><)

 

 

 

ブッダの言葉で

 

「中道を行く」というものがあります。

 

簡単にいえば、

 

両極端ではなくバランスを取った生き方という感じでしょうか。

 

 

 

それがこれに当てはまるかは分かりませんが、

 

誰の前でもバリバリ話す自分ではなく

 

周りを気にしすぎて萎縮する自分でもなく

 

自分の気持ちと人の気持ちを感じながら話せる自分。

 

 

 

そんな中道を行く自分になってみたいと

 

今は思います( ˶˙ᵕ˙˶ )

 

 

 

 

私は中学受験をしました。

 

(→結果的に落ちたのですが泣)

 

 

 

受験内容は筆記テストと面接で、

 

1日かけて行われました。

 

 

 

そこに目立つショートヘアの女の子がいました。

 

彼女は緊張感が漂うお昼休みでも

 

楽しそうにお話をしながら

 

ご飯を食べていました(!)

 

面接でも同じグループだったのですが

 

ハキハキ答えていて、嘘がない。

 

 

 

今思い出しても、

 

あの頃の「いいなぁ」という

 

ほろ苦い嫉妬のような感覚と

 

好意が合わさった独特の感情になります。

 

 

 

その時に私は、

 

彼女は受かるだろうと思いました。

 

 

 

そして、実際の合格通知を見た時に、

 

やはり受験番号90が!!!

 

(残念ながら自分の番号は忘れました笑)

 

悔しさもありつつ、やっぱりと納得。

 

 

 

その時は気付かなかったのですが、

 

私はあの時、挫折を経験したのです。

 

 

 

あんなに、自分が頑張っても

 

掴めなかったものを彼女はサラッと掴んだ。

 

何が違うんだと。

 

 

 

それ以上は考えが及びませんでした。

 

 

 

でも今なら少し分かります。

 

彼女は恐れやなんかを乗り越えていた。

 

そして

 

受験の合否に自分の価値を委ねていなかったということ。

 

それがとても魅力的でした。

 

本当にすごいことです。

 

 

 

もちろん多くの準備もあったことでしょう。

 

改めて尊敬の念が溢れてきました!

 

(美化されてるかもしれませんが笑)

 

 

 

嫉妬は憧れの裏返しともいいますが、

 

挫折は何かのヒントなのかも( ˶˙ᵕ˙˶ )

 

 

 

 

 

 

 

色々な事をやっていると

私の場合、

 

①好奇心の段階

②飽きる段階(←早い笑)

③向き合う段階

④楽しくなる段階

⑤自在になる段階

 

がある気がします。

 

 

様々な条件で、飽きる(もう見たくない!)で

止まってることも多々ありますが笑

 

様々な条件とは主にやらされ感かなと思います。

 

だからこそ、その先にゆくには

 

自分の中でやらされていない、自由な発想の時間を

 

作ってみる必要があります。

 

 

 

思い返してみると小学生の頃、

私はリコーダーが嫌いでした。

いつも緊張して上手く出来ませんでした。

 

 

理由の一つに

学校以外の時間に楽器と親しむことがなく、

楽しむというイメージがそもそもなかったのです。

だからやらされ感がとてもありました。

 

 

でも

 

 

そのリコーダーを持ち帰り

一度だけ自主的に練習してみたことがありました。

 

 

するとどうでしょう

次の授業には余裕ができ、意外と簡単に楽しくなったのです!

 

 

 

私は苦手意識というハードルばかりが高くなり

 

自分の分からない所を見落としていたことに気付きました。

 

(分からない箇所が分からない状態でした笑)

 

そして、準備の大切さにも。

 

 

 

大人になるともしかしたら、

 

興味がないことをやる必要は減るかもしれませんが、

 

苦手意識が先行する場合は、

 

まず自由にやってみてどうか見てみるのはいいのかもしれません💡

 

自由な発想の余地は転がっています。

 

 

 

それを知った時に、好奇心が高まり

 

楽しくなるきっかけになるのかも( ˶˙ᵕ˙˶ )

 

 

以前、父がラーメン好きということもあり

 

両親と行列のできるラーメン屋さんに行きました。

 

 

 

その日は開店30分前にお店に着きましたが、

 

すでに行列ができており最終的には2時間待つことに。

 

それでも楽しみに待っておりました。

 

 

 

順番になり入ってみると普通のお店なのですが

 

どこか澄んだ空気が漂っていました。

 

 

そしてラーメンは期待通り美味しくて完食。

 

 

印象的だったのは、その後

 

母の話しかけに応えて下さった

 

経営されているご夫婦のきらきら感(!)でした。

 

その一瞬の光景が鮮明に残っています。

 

 

 

その時感じたことを日記に残していました…!

 

ここからはなぜか

 

カンブリア宮殿の村上龍さん風になります笑

 

 

ーーー

 

店主さんご夫婦の心の豊かさが人を呼んでいる、

 

丁寧に磨きあげられた店内・味

 

 

奥さんの本当に心地よい空間が創り上げられている。

 

人と比べる訳ではない。

 

でも人には謙虚で。

 

ぴかぴかに磨きあげられている。

 

感覚的なもの、現実的なものに真摯で美しい。

 

それがあせらず積み上げられている。

 

 

そこまでされると誰も急かす気にならない。

 

こちらの心が磨かれる、

「ありがとう」と言葉でなく芯の方で感じる。

 

 

これが、仕事か、と思った。

 

ーーー

 

 

人気があるのは、有名だからではなく、

 

豊さに人が集まってくるのだと実感した

 

素敵なラーメン屋さんでした( ˶˙ᵕ˙˶ )