(写真は、関ヶ原宿のウォーク更家。)

前回の中山道の「難所と苦労した事」に続いて、今回は、
中山道の「見所、もう一度行きたい場所」と「記憶に残る
食べ物」について思い出しながら書いてみます。

『もう一度行きたい場所』

江戸時代の雰囲気を残す芦田、奈良井、木曽福島、妻籠、
細久手の宿場町では、憧れの古い旅籠に泊まることが
出来ました。  

芦田の「金丸旅館」では、襖の向こうは、フトンの収納棚
だろうと思って、奥の襖を開けてみりと、何と!隣の部屋
でした!
8畳間が4部屋、縦に並んだ造りです。
そう、江戸時代の旅館は、隣の部屋との仕切りは、襖1枚
だったんんですね・・・

  (芦田「金丸旅館」)


(奈良井「民宿しまだ」)


(木曽福島「むらちや」)
 
妻籠の「松代屋」では、食後に夜の妻籠宿の散策に出かけよう
とすると、今時珍しい写真の「提灯」を貸してくれました。
妻籠宿には街灯がないので、闇を照らすのは、行灯(あん
どん)のほのかな光だけで、聞こえてくるのは水路のせせらぎ
の音だけです。
夜空の星々が手に取る様に近くて、頭から振ってきそうな錯覚
に襲われました。

(妻籠「松代屋」)
細久手の「大黒屋」では、ご主人から、食堂の間に行くとき
は、畳に段差があるので、つまずかない様にと注意を受け
ました。
なんと!、その段差とは、座敷と上段の間との段差でした!

(細久手「大黒屋」)
また、宿泊はしませんでしたが、上記以外にも、水舟の点在
する須原宿、綺麗な水の流れる水路が印象的な醒ヶ井宿などの
素敵な宿場町がたくさんありました。
妻籠、馬籠、奈良井は観光客でごった返していましたが、
それと同じくらい魅力的な須原宿などは、観光客の姿も無く、
静かな宿場町で、ゆっくりと見学したい場所でした。

他にも、望月宿と合の宿の茂田井集落などは、落ち着いた風情
があり、再訪してみたい場所で素敵でした。


『見所』

中山道のの本陣跡には、ご子孫の方が住んでいらっしゃって、
先祖から伝え聞いたという逸話を、直接お聞き出来て、歴史を
非常に身近かに感じました。

群馬の板鼻宿では、板鼻本陣の子孫の方が、曾祖父から聞いた
という、皇女和宮が宿泊されたときの様子を、まるで見ていた
かの様に、細かく話してくれました。

その話によると、和宮が泊まられた室の畳の下に、伊賀者と
いわれた忍者二人が、24時間、隠れて警護したそうです。
下の写真は、その和宮の寝室の畳をはがした時のものです。



また、上の下諏訪宿の岩波本陣の奥座敷では、岩波家の
直系の子孫の方の”先祖への熱い想いを込めた”説明を
聞く事が出来ました。
なお、「岩波文庫」で有名な「岩波書店」の創設者・岩波氏
は、ここの岩波家の出なのだそうです。

滋賀の高宮宿出身の「伊藤忠兵衛」は、麻布の行商から身を
起こし、大手商社の「伊藤忠商事」と「丸紅」を創設しました。

その高宮宿では、「伊藤忠商事」の新入社員の研修場所の
上の写真の「伊藤忠兵衛の生家」と、「丸紅」の新入社員の
研修場所の「豊郷小学校」を、研修当日に見学しました。


『イベント』

中山道ではイベントも盛りだくさんで、お祭り等のイベント
にも遭遇しました。

「太田宿・中山道祭り」の「姫道中」では、蓮台の上から、
和宮様が笑顔で手を振ってくれました。

和宮、五十姫など将軍に嫁いだ6人の姫役は、美濃加茂市に
ゆかりのある人を公募で選んだそうです。

また、関ケ原宿の笹尾山の「甲冑体験コーナー」では、甲冑姿
に着替えて記念撮影をしました。

胸板、大袖、草摺(くさずり)、篭手(こて)、手甲、臑当
(すねあて)、草鞋(わらじ)を順に付けるという時間を
かけた本格的な着付けに大満足でした。


『記憶に残る食べ物』

中山道は、険しい山道が多くて体力を消耗するため、街道沿い
の名物は、江戸時代から炭水化物の多い餅や蕎麦などが中心
だったそうです。

今流行りの”炭水化物ダイエット”からみると不人気の食べ物
が多いかも・・・

また、東海道と違い海が遠く魚が無いので、鯉や岩魚で、
たんぱく質をとっていたそうです。

それでは、中山道の名物を、以下の写真でお楽しみ下さい。

(高崎「ダルマ弁当」)


(横川「峠の釜めし」)


(碓氷峠「力餅」)


(望月「味噌カツ丼」)


(和田「鮎めし弁当」)


(和田峠東餅屋「力餅」)


(下諏訪「塩羊羹」)


(贄川「岩魚蕎麦」)


(宮ノ越「松茸ソバ」)


(木曽福島「鮎の塩焼」)


(上松「もりそば」)


(須原「桜花漬」)


(須原「五平餅」)


(妻籠「鯉の甘露煮」)


(馬篭峠「五平餅」)


(中津川「栗きんとん」)


(中津川「鰻のしつまぶし」)


(大湫「五平餅」)


(大井「棒葉鮨」)


中山道の木曽路は、昔、車で訪れたことがありますが、今回
は、歩いてみて初めて気がつく、ゆっくりとした時間の流れ、
旅行の楽しさがありました。

車の旅行では、見落としてしまう様な風景が多々ありました。

そして、やはり、一人旅は気楽なもので、疲れたときは必要な
だけ休み、体調が良いときは休まず歩いて距離を稼ぎました。

旧中山道の全てを歩いて旅行するというのは、現代社会に
おいては、やはり”究極の贅沢な旅”だったと思います。

ps.
今回の中山道歩きを、下記のホームページに取り纏めました
ので、こちらにもお立ち寄りください。

「中山道を歩く(完全踏破の一人旅)」
(http://www7b.biglobe.ne.jp/~akamine/)

また、ホームページ「東海道五十三次を歩く(完全踏破の
一人旅)」(http://www.minedayo.com/)も、併せて
ごらん下さい。
 

日本橋をスタートして、東海道と同様に何も無い東京~埼玉
の辺りを歩いている間は、中山道歩きは東海道歩きの延長
だなあ~、という印象でした。

 

その印象が変わったのは、群馬の安中宿辺りからで、江戸時代
からの時間が止まった様な、中山道固有の雰囲気に変わった
ので、何となく嬉しくなりました。

 

そして、安中から松井田を経て、軽井沢へ向かう「碓氷峠」に
差し掛かると、いきなり崖状の急な登り坂が続き、早々に
息切れしてバテてしまいました。

 

それでも、登り坂が終わると、あとは、尾根沿いの平坦な
楽しいハイキングコースでした!

 

そして、碓氷峠を超えた軽井沢からは、浅間山を眺め
ながらの、気持ちの良い高原地帯のハイキングが、和田宿
までずっと続きました。

 

しかし、和田宿から先の22キロもの厳しい「和田峠」越え
は、途中、迷いそうな熊笹に覆われた道もあり、私のペース
で1日で越えるのは無理と判断しました。

 

そこで、この行程だけ旅行社主催のウォーキングに参加
しました。

 

1日目は峠越えの途中で送迎バスが迎えに、2日目は前日
迎えに来た所まで送ってくれて、峠越えを2日に分けて
歩きました。

 

私はツアーの案内者に付いて歩いて行くだけだったので、道に
迷う心配もありませんでした。

 

これで、和田峠越えのポイントは分かったので、次回、和田峠
越えをすることがあれば、もう一人旅でも大丈夫です。

 

難所の和田峠を越えて下諏訪宿に着いたとき、これから先は、
和田峠以上の難所は無いだろうから、あとは日にちさえ
掛ければ必ず京都に着く、と確信しました。
 
下諏訪宿から塩尻を経て、木曽路の長~い山道に入りました。

 

木曽路は厳しい山道でしたが、途中には無名の集落や宿場町が点在していて、至る所に江戸時代の名残が残っていました。

 

また、心洗われる木曽川沿いの山道は、印象深く、忘れがたい風景でした。

 

木曽路を抜けて、岐阜の中津川の町並みを一望できる丘を
過ぎると「新茶屋」で、「是より北 木曽路」の石碑が
ありました。

長かった木曽路の山道も、ここで終りだと思うと、少し寂しい気分になりました・・・

 

 やはり、心に滲みる風景の木曽路は、いつか、もう一度
歩きたいです。

 

そして、やっと木曽路を抜けて平地に出たと思ったのも
束の間、中津川を抜けると、中山道の最後の難所「十三峠」
が待ち構えていました。

 

「十三峠」は、江戸時代には、”十三峠に まけ七つ”と
言われ、合計で20箇所もの難所があったそうです。

 

現代の「十三峠」もまた、自動販売機も無い20キロもの山道
で、江戸時代と変わらない長~い峠道が延々と続きました。

 

 しかし、上記の三つの峠以外で、江戸時代に難所と言われた
「塩尻峠」、「鳥居峠」、「馬籠峠」は、よく整備された
快適なハイキングコースになっていました。

 

このハイキングコースにも、塩尻峠・鳥居峠の熊、うとう峠の
マムシ等の情報がありました。


このため、中山道では、熊除けの鈴と携帯ラジオは必携品です
が、逆に、これさえ有れば安心というコースでもありました。

 

そして、岐阜の美濃路から滋賀の近江路に入ると、ゴールの
草津まで、ずっと鉄道沿いで、毎日、好きなだけ歩いて、
疲れたら電車に乗るという気楽なウォーキングが続きました。

 

また、中山道歩きの同好の志との出会いもありました。
特急「あずさ」で隣の席になった中山道歩きの豊島区の
Kさん。

 

琵琶峠で街道歩きの醍醐味を語り合った丹波の国さん、横浜の
Yさん、岐阜さん。


2度お会いすることになった太田宿のボランティアの親切な
おばさん。

 

その他の親切な郷土の宿場町を愛する大勢の皆さんの御蔭で、
思い出深い旅が出来ました。

膝の痛みも消え、東海道53次の完全踏破から7カ月後の2012年11月、再び日本橋をスタートして、中山道を京都へ向かう一人旅に出ました。


 中山道の踏破にあたり、先ず、東海道の反省を踏まえて下記の方針を決めました。
 
「第1」の反省点は、東海道では途中でよく道に迷ったことです。
 
  一人旅だったため、いったん思い込んでしまうと、
    誤った道をどんどん歩いてしまい、もとの道に戻るのに
    半日を要してしまったこともありました。
 
  そこで、中山道の詳細地図が記載された「誰でも歩ける
    中山道六十九次」と「ちゃんと歩ける中山道六十九次」
    の2冊を携行することにしました。
 
  これで、ほとんど途中で道に迷うことも無く、東海道の時
    の様な苦労はしなくて済みました。

  それでも、詳細地図に記載の無い分岐点で、右か左か判断
    に苦しむことは多々ありました。

  その様なときには、東海道でつかんだ”嗅覚”が大いに
    役立ちました。
  旧街道の独特の”匂い”に敏感になり、分岐点で直感で
    判断できることがありました。
 
「第2」の反省点は、4か月で東海道を完全踏破するという
 目標をたてて、歳も考えずに1日30キロ以上のハイピッチ
で距離を稼いだことです。

  結果的に膝を痛めて、最後には1日5キロまでペース
  ダウンしてしまい、その上に治癒に半年を要しました・・

  これを踏まえ、中山道では、踏破の所要日数の目標を
    決めず、無理をせずにペースを落とし、のんびりと
    歩くことにしました。
 
「第3」の反省点は、東海道では、下調べもしないで、
がむしゃらにどんどん歩いたため、見落とした遺構などが
多々あった事です。

  中山道では、事前に、小説の「夜明け前」、「一路」、
    「続膝栗毛」等の本を読んだり、中山道を踏破した
    皆さんのブログをチェックしたりしました。
 
  この予備知識をもとに、宿場町の歴史的な遺構や風景な
    を、じっくり楽しみながら歩きました。
 
 上記の東海道の反省を踏まえて、中山道踏破をスタート
しましたが、中山道には、東海道では経験しなかった下記の
「1」~「5」がありました。
 
「1」:中山道の峠道は厳しい山道の連続でした。
特に、崖状の急な登り坂が続く「碓氷峠」、険しい山道が
22キロもある「和田峠」、自動販売機も無い20キロ
もの「十三峠」は、ホントの難所でした。


「2」:中山道には、交通の不便な区間があり、鉄道はおろか
バス路線もない区間もありました。
特に、望月宿~和田宿間は、中山道と並行する電車やバス
の無い交通機関の空白地帯でした。
 
従って、東海道のときはガムシャラに歩けば京都に着き
ましたが、中山道は、事前に僅かな本数の路線バスの
時刻等を調べて、踏破の作戦を練る必要がありました。
 
「3」:中山道には、東海道と違って、江戸時代の雰囲気を
漂わせる多くの宿場町が残っていました。


そして、芦田、奈良井、妻籠、細久手の宿場町では、
江戸時代の旅籠に宿泊して、昔の旅人気分を満喫しました。

 

  また、板鼻、下諏訪などの本陣跡には、ご子孫の方が
  住んでいらっしゃって、先祖から伝え聞いたという、
  和宮降嫁の際の生々しい様子などを、直接お聞き出来て、
  歴史を非常に身近かに感じました。

  そして、どの宿場町でも、私のために説明の時間を割いて
  くれた宿場毎の親切な皆さん、この郷土を愛する宿場町の
  皆さんのお蔭で、楽しい旅が出来ました。
 
「4」:木曽路の長~い街道は、木曽川沿いの美しい
心洗われる風景が延々と続きました。

  途中の各宿場町も、時代に取り残された様なうっとりと
  する雰囲気で、心が休まり癒されました。{/hamster_2/}  

  名もない集落が点在する木曽川沿いの素敵な木曽路は、
  もう一度、歩きたいと思っています。

 
「5」:中山道の山道では、常に熊除けの鈴とラジオを携帯
して、鳴らしながら歩きました。


  また、峠道には、いたる所に熊除けの鐘が設置されて
  いました。

  でも、ブログ上では、熊、猪、マムシ等の出没情報に
  ついて、少し大袈裟に騒ぎ過ぎたかなと思っています

  確かに宿場町での熊の目撃情報は多くありましたが、街道
  歩きの人が熊に襲われたという情報は無かったので、本音
  では安心して歩いていました。
 
また、中山道は、江戸時代から続く街道沿いの食べ物、和宮
降嫁のお祭り、関ケ原の古戦場巡りなど、楽しいことが
盛りだくさんでした。

 

そして、東海道に続いて中山道も、完全に歩き通した事は
大きな達成感と自信に繋がり、私自身の気持ちのうえで、
中山道のゴールインは大きな区切りになりました。