行動する人だけが感じる「痛み」と「成長」

介護でも、仕事でも、日常でも——。
「どうせ失敗するなら、やらないほうがいい」と思うことがあります。
でも本当にそうでしょうか?

先日、心に残る言葉を聞きました。
「傷つくことは、行動した人しか傷つかない」
この言葉に、私はハッとさせられました。

動いた人だけが見える景色、感じる痛み、そして得られる成長がある。
その痛みこそ、人生の深さを教えてくれるのだと思います。

なぜ人は失敗を恐れてしまうのか

私たちは誰でも、「間違えること」や「注意されること」を怖がります。
それは、「認められたい」「嫌われたくない」という自然な気持ちから。
特に人前では、「正しくいたい」と思うほど、動けなくなることがあります。

でも、立ち止まっていても時間は過ぎていく。
何もしないリスクは、失敗するリスクよりも大きいのです。

「安心」と「成長」は同時に得られない

私たちは「安心」を求める生き物です。
だからこそ、「怒られないように」「間違えないように」と行動しがち。
でも、本当の安心とは「避けること」ではなく、
「受け止める力」の中にあるのかもしれません。

挑戦しても、自分を責めずに立ち上がれる。
その強さが、本当の安心をつくるのだと思います。

「傷つく=成長している証」

失敗したとき、心が痛くなります。
それは「自分を責めている」からではなく、
本気で向き合ったからこその痛みです。

何もしていない人は、そもそも傷つくこともありません。
行動した人だけが、結果を受け止め、修正し、次へと進む。
失敗は「ダメだった証」ではなく、「挑戦した証」。

その傷の一つひとつが、あなたの経験という財産になります。

現場で見た「挑戦の勇気」

以前、職場で新人の方が入浴介助に初挑戦しました。
不慣れな動作で、お湯の温度を少し誤ってしまい、
利用者さんが「ちょっと熱いね」と苦笑い。

彼女は深く反省し、「自分には向いていないかもしれません」と涙をこぼしました。
そのとき、先輩はそっとこう言いました。

「失敗したっていい。やってみた人にしか、見えない景色があるよ。」

その一言で、彼女はもう一度挑戦する決意をしました。
次第に手の動きがやさしくなり、声かけも丁寧に。
失敗の痛みが、成長のやさしさに変わっていった瞬間でした。

痛みの中にしか、本当の気づきはない

挑戦して失敗すると、「あの時やらなければ…」と思うことがあります。
でも、痛みの中にこそ本当の学びがあります。

  • どうすれば次はうまくいくか
  • 自分には何が足りなかったか
  • 誰かの支えがどれほどありがたいか

それらは、失敗した人にしか見えません。
痛みを知った人ほど、人に優しくなれる。
だからこそ、行動する勇気は尊いのです。

「傷つく勇気」を持つということ

行動するというのは、「うまくいく」ことよりも、
「うまくいかなくても大丈夫」と信じる勇気を持つことです。

傷つく勇気がある人は、他人の痛みにも気づけるようになります。
その優しさが、次の行動を支える原動力になるのです。

傷つくことを恐れず、一歩を出せる人ほど強い。
そして、その人の背中が、誰かの希望になります。

今日できる小さな一歩

ここだけ押さえるポイント

  1. 傷つくのは、行動した証
  2. 失敗は「経験」という財産
  3. 勇気は「一歩」から生まれる

今日、あなたができる小さな行動をひとつ選んでみましょう。

  • 気になっていたことに、少しでも(1分でも1回でも)やってみる
  • 失敗などない。成功しない方法がわかっただけ
  • 行動しようとした「意欲」を労う

今日の一歩は、必ず明日の力になります。

🌷私の好きな言葉「ありがとう」

私の好きな言葉に「ありがとう」があります。

お店のレジの方や、親切にしてくれた方へ感謝の気持ちを込めて、日常の中でよく使っています。
スピリチュアルな視点から見ても、「ありがとう」を口にしていると運が良くなっていくような気がします。

また、私の中では「感謝できる人=良い人間」という思い込みもあります。
だからこそ、介護の職場でも利用者さんに対してよく「ありがとう」と伝えるようにしています。


🌸職場で「ありがとう」を使うようになったきっかけ

職場でこの言葉を使うようになったのは、以前の職場の女性主任さんの姿を見てからです。
介助が終わるたびに、利用者さんに「ありがとう」と声をかけていたその姿が、とてもかっこよく見えました。
私もその姿に憧れて、同じように介助後に「ありがとう」と言うようになりました。

その主任さんがどんな思いで「ありがとう」と言っていたのかは分かりませんが、
私の中では「介護をさせていただいたこと」「その方と関われたこと」への感謝として使っています。


🌱心がこもらない「ありがとう」に気づいた時

とはいえ、いつも心からそう思えるわけではありません。

苦手な利用者さんや、忙しい時に呼ばれたときなど(利用者さんにとっては大切なことでも)、
内心では「今はちょっと面倒だな」と感じることもあります。

そんな時に口にする「ありがとう」は、心がこもっておらず、
むしろ少し嫌味が混じったものになっていると、最近気づきました。


💧無理に「ありがとう」を言わない勇気

それ以来、「本当に感謝できないときは、無理に“ありがとう”を言わなくてもいいのではないか」と思うようになりました。
自分の本音にフタをしてまで「ありがとう」を繰り返すと、心がすり減っていくように感じたからです。

感謝の言葉は大切ですが、それ以上に自分の心を大切にすることが必要だと感じています。


🌿本音を大切に生きる

今では、感謝できないときは「はい、失礼しました」と言ったり、
うっかり「ありがとう」と言ってしまった時には、
「今の言葉には心がこもってなかったな」と自分で気づくようにしています。

そうして、自分の心の本音を大切にしながら、人と関わるようにしています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍀

🌊川の流れに身を任せる介護のこころ
――完璧を手放して見えた優しさの形――


介護の現場で働いていると、ふと 「川の流れに任せた方がいいな」「逆らってはいけないな」 と感じる瞬間があります。
日々、目の前のご利用者様と向き合う中で、それを強く教えられる出来事がありました。


👵あるおばあちゃんとの関わり

あるおばあちゃんのことです。
その方は認知症が強く、職員の声かけ(お願い)がなかなか伝わらないことが多い方です。
自発的にトイレに行かれることもありますが、行かれない時もあります。
こちらから声をかけて行く時もありますが、記録を見るとトイレの間隔が空いていて、
「きっとパッドがびっしょりだろうな。交換してあげたいな」 と思うことがあります。

でも、そのような時に声をかけても 「行かない!」 と頑として動かれないことがあります。
少し粘り強く誘導しようとすると、怒りっぽくなってしまうこともあります。


💭自分を責めた時期

完璧主義な私は、その頃こう思っていました。
「トイレ誘導もできない自分は情けない」
「こんな自分は介護士に向いていないんじゃないか」
現場で頑張るほど、うまくいかない現実に心が折れそうになったこともあります。


🌱見えてきた“自然の流れ”

けれど、しばらくして気づいたことがあります。
一度トイレに行かれなくても、しばらくすると自発的にふらっとトイレに向かわれることがあるのです。
そのタイミングを逃さないように全体を見ておく必要はありますが、
「今でなければいけない」という思い込みを手放すと、不思議と流れがスムーズになるのです。

また、私の声かけでは行かれなかった方が、別の職員の声にはすんなり反応されることもあります。
つまり、「トイレ」という意識が心のどこかに残っていて、
後で自発的に行動につながることがある。
結果的にそれでうまくいけば、それでいいのではないか――そう思うようになりました。


🤝完璧よりも“協力と余白”

介護の仕事は、ひとりで抱え込む仕事ではなく、チームで行う仕事なんだと今は思います。
自分1人で全部を完璧にしようとせず、他の職員がいる時間帯であれば力を借りる。
1人の時間帯は、必要最低限の声かけをして、
それでも難しいときは無理に抗わず、 流れに身を任せる
それも大切な判断だと感じています。

約20人の利用者様を1人の介護士でお世話する現場で、
すべてを完璧にこなすのは現実的にとても難しいことです。
むしろ無理をすれば、心も体もすり減ってしまいます。


🌸まとめ:「流れに任せる勇気」

完璧を目指すよりも、やるべきことを丁寧に行い、
あとは 「川の流れに身を任せてみる」
そうすると、不思議と心が軽くなり、
ご利用者様との関係もやわらかくなる気がします。

介護の現場は日々変化の連続です。
だからこそ、 抗わず、流れに寄り添うこと が、私たちの心を守り、
ご利用者様にとっても穏やかな時間を生むのかもしれません。

💧今日もまた、川の流れのように。
焦らず、自然に。