「母の夢」 といっても、“a  mother's dream” ではなく、“a dream of my mother” で、つまり 私が見た「母が出てきた夢」の話です。

 
 
11月の下旬から立て続けに2本、ドキュメンタリー映画を字幕翻訳していました。2本目は今月配信のため、超急ぎで先週の金曜日から週末引きこもって訳していました。
 
 
5日間で仕上げるところ、ずっと根を詰めてやっていたので、3日目の日曜、おとといの昼にだいたい終わりました。
 
 
さすがに疲れたのと、先が見えた安心感で眠くなり、午後少し横になったところ、夢をみたのです。めったにみない母の夢でした。
 
 
私は母とあまり折り合いがよくありませんでした。
 
 
幼い頃はおそらくかわいがってもらっていたのだと思うのですが、物心ついた頃から母の注意・関心は4才離れた妹にあり、私は「お姉ちゃんなんだから」と言われて育ち、自立心の強い子どもになりました。
 
 
自分で言うのもなんですが、しっかりした手のかからない子だったと思います。何でも自分でやるし、勉強も好きだったし、静かに本を読んでるような子だったので結構放っておかれました。
 
 
甘えることがうまくできず、可愛げのない子であったかもしれません。
 
 
学校に行っている間、母はパートに出て家にいないことが多く私はかぎっ子でしたが、寂しいというより自由でよかったと思ってました。
 
 
あまり相談せず、何でも自分で決めて行動していたので、結婚する時も家を出る時も親にはすべて事後報告でした。「何でも先に決めちゃって」と言われましたが、そういう育てられ方をしたんだから仕方ないでしょ、と思ってました。
 
 
そもそも、母も家族より自分の友達とか職場の人を大事にしているフシがあり、それも私には不満でした。だから、私は自分の子どもたちはすごく愛情をかけてかわいがったし、家族優先で幼い時はできるだけ家にいるようにしました。
 
 
非常勤講師で学校の仕事を再開した時も、下の息子が小学校に上がって家にいない間だけだったし、フルタイムの教員に戻ったのは下の息子が部活が始まる中学生になった時でした。
 
 
母は、めったに電車に乗らない人で、私が結婚してからも、孫ができてからでさえ、自分から私たちの家に来ることは1度もありませんでした。
 
 
実家で同居していた妹の話では、同居の孫(私の姪っ子たち)の学校行事や試合でさえ、ほとんど見に行ったことがなかったそうです…プンプン
 
 
孫を連れて行けば、それなりに迎えて世話をしてくれましたが、さほど子ども好きでなかったので、一緒に遊ぶとかいうこともありませんでした。だから、うちの子どもたちもあまり母には懐きませんでした。
 
 
そんな母も、おととし亡くなりました。
 
 
ずっと気丈で社交的で、近所のお茶飲み友達と楽しく過ごしていたのですが、80才を過ぎてからめっきり衰え、まず歩かなくなりました。そしてリウマチが悪化して手の指が変形し、得意だった手芸もできなくなっていきました。
 
 
家にいることが増え、あまり誰とも話さなくなって、心も体も弱ったようです。お腹を壊して入院している1か月ほどですっかりボケてしまいました。全然起きられなくなり、すぐに要介護5までいってしまって驚きましたガーン
 
 
そのまま入院させておくわけにもいかず、私が長女なので引き取ってしばらく家で介護をし、要介護3にまで回復しましたが、最後は施設に入り肝臓を壊して83歳で亡くなってしまったのです。
 
 
要介護5の時は、ボケがひどくて何も分からなかったのが、うちでできるだけ歩かせたり、デイケアに通っているうち、みるみるとボケがよくなり(忘れていた銀行カードの暗証番号まで思い出してくれてビックリ!)びっくり、逆に、私の介護休暇が終わるため、運よく入れた特養(特別養護老人ホーム)に入れた時にはすごく怒ってました。
 
 
なかなか特養は空かなくて入れない中、新設のところを見つけて要介護5の時に早めに申し込んだから、すんなり入れたというのに…。
 
 
こんなことならボケててくれたらよかったわ、と思ったくらいチーンチーンチーン
 
 
下の世話をしても「ありがとう」も言わないので、だんだん腹が立ってきたり、私なら絶対娘に下の世話なんかさせたくないし、そうなったらさっさと施設に入るんだけどと思ったりして、最後まで母を好きになれませんでした。
 
 
今回、夢の中でなぜか一人暮らしをしている私の元に、暖かい冬用の衣類や毛布が届くのですが、それが母からだったのです。 
 
 
母の姿は直接出てこなかったのですが、夢の中で昔の母を思い出して懐かしがっている私がいて、目が覚めたら泣いていました。
 
 
どんなに折り合いや相性が悪くても、やっぱり母は母です。自分が子どもを育ててみて、子どもが大きくなるまでは(大きくなっても)、すごく手がかかるし、たくさんいろんなことをしてくれたんだろうな、ということは今なら理解できます。
 
 
よく考えたら、欲しいと言ったものはたいてい買ってもらえたし、習い事や塾も行かせてもらえて、裕福ではなかったけど「お金がないから」と言われたことはなかったので、それはありがたかったなあ、と思います。
 
 
結局、1番お金も手もかかって大変だった時のことはすっかり忘れて、反抗期以降の確執だけが残っていただけかもしれません。いつまでたっても、甘えたくて甘えられなかったのは私。
 
 
こんな夢をみたのは、ずっと訳していた作品が2本とも、子どもを手放さなくてはならなくなった女性たちの話だったからだろうと思います。
 
 
自分が10か月間、お腹の中で大事に育て、最後痛みに耐えてやっと産んだ赤ちゃんを自分で育てることができないつらさや悲しさ。
 
 
配信されたらまたたくさん語りたいと思いますが、とにかく生みの親と一緒にいられるだけで幸せでありがたいことなんだ、と改めて考えさせられました。
 
 
母の命日は今週の木曜日、あさって12月3日です。
 
 
本当は亡くなって2年目なので、三回忌の法要を営みたいところですが、コロナの感染者が増えているし寒い時期でもあるので、妹たちとも会わずに、うちの家族だけでお墓参りをすることになるだろうと思います。
 
 
奇しくも、母の命日は孫の誕生日でもあります。逝く命と生まれる命…どちらも私たちの中で永遠につながっています。母がいたから私や子どもや孫がいます。改めて、墓前で感謝を伝えたいと思います。
 
 
お母さん、ありがとう。現世ではあまりいい関係を築けなくてごめんね。私がそっちに行ったら、今度は仲良くやろうね。
 
 
 
 
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