ブログ書くの久々だー!
少し前になるけど、またしてもレンタルした映画の感想を書きたいと思います!
ネタバレ多いので、まだ観てない方は注意です!
今回の映画は
『チョコレートドーナツ』
監督:トラヴィス・ファイン
僕たちは忘れない。
ぽっかりと空いた心の穴が、愛で満たされた日々。
1979年のカリフォルニア。歌手を夢見ながら、ショーパブでダンサーとして日銭を稼いで暮らすルディは、検事局のポールと一目ぼれしてカップルとなる。
ある日、ルディのアパートの隣の部屋に住むダウン症の少年マルコが、母親が薬物所持で逮捕されたため、強制的に施設に送られる。
施設を抜け出したマルコを発見したルディとポールは、マルコを引き取って育てることにする。同性愛の恋人同士であることを伏せ、法的手続きによりマルコの監護者となった二人は、本当の両親のようにマルコに愛情を注ぎ、三人で幸せな日々を送る。
しかし1年が経ったある日、ルディとポールが恋人同士であることが周囲に露見したことから、二人はマルコの監護者と認められず、マルコは再び施設に送られてしまう。
マルコを取り戻すため、二人は裁判に臨む決心をする。
(Wikipediaより引用)
(映画レビューサイトCOCOより引用)
前回に続き、今回もいろいろと考えさせられる映画でした...。
でも感想より先に涙ボロボロで...、映画とかには結構涙腺緩いです。
ゲオで選んでた時は「ゲイが出てくる映画」ってイメージで借りてしまったんですけど、完全になめてました(・_・;)
私は所謂「腐女子」なので、最初の方はルディ役のアラン・カミングを見て「可愛いなー」「美しい!」と歓喜して、ギャレット・ディラハントが役するポールとカップルになってからは幸せ全開な二人をニヤニヤしながら観てました...w
アイザック・レイヴァが役するマルコとの三人の暮らしが始まってからは本当に微笑ましくて、ほんわかした気持ちに浸っていました。
しかし後半は一気に暗く重い話になります。
ルディとポールは二人の関係を周囲に伏せて生活していましたが、ある日、ポールの上司に二人のことが知られてしまい、その上司の通報でマルコは施設へ連れて行かれてしまいます。
二人がゲイカップルであるということで、法律と偏見が三人を引き離し、マルコは施設でルディとポールが迎えに来てくれる日を待ちます。
裁判をかさねて、二人は必死にマルコを取り戻そうとしますが、裁判所が取ったのは薬物所持で逮捕されていたマルコの母親を釈放するという手段でした。
母親が釈放されてしまえば、二人がマルコの保護者でいる権限はなくなります。
ついにマルコがルディとポールのもとへ帰ることはなく、
マルコは母親が目を放した隙に家を出て、二人と過ごした家を探し求め、夜の街を彷徨います。
数日後、裁判に関わった人たちにポールから一通の手紙が送られてきます。
手紙には新聞に載っていた小さな記事が同封されていました。
「薬物中毒の母親が目を放した隙に外に出たダウン症の子供が、家を探して三日間彷徨った挙句、橋の下で遺体となり発見された。」
淡々と綴られた文章と、バックにルディの歌声が流れるシーンでした。
映画はここで終わります。
マルコはハッピーエンドが大好きな子供で、観ていた私も、こんなショッキングな終わり方だとは思っていませんでした。
チョコレートドーナツ
甘くて美味しいものだけど、
此の世はそんな、チョコレートドーナツのようにはいかないんだな、と思いました。
私がこの映画で是非オススメしたいシーンは、三人の幸せな日々、マルコを巡る裁判、そして最後のシーンです。
三人の幸せな日々を知っているからこそ、後半であんなに号泣したんだと思います。
ポールが裁判中に言った言葉が印象的で、この映画の世界観そのものだったように思えます。
「これはマルコがどこにいるのが幸せであるかを考えるための裁判ではないのですか。
僕は法の隙間からこぼれ落ちる子供を救いたいのです。
彼が施設へ行っても里親は一生見つからないでしょう。
なぜなら知的障害があり背が低く太った男児を養子に欲しいと思う人間は一人もいないからです。
しかし僕たちは違う、愛情をもって立派な大人に育ててみせます。
どうか、彼に機会を与えてください。」
私はここですでに大号泣していました(^_^;)
確かに、マルコの幸せを考えるための裁判なのに、話の論点は二人がゲイであることばかり。
「あなたたちの関係は?」
「二人はマルコの前でキスをした?」
「マルコに女装姿を見せたことは?」
幸せとは何か、愛とは何か。
ゲイであることがそんなにいけないことなのか、子供にとっての幸せな家庭とは何か。
普段触れている同性愛(BL)とは、レベルが違い過ぎる...と驚きもありました。
漫画やアニメは綺麗に描いてくれるけど、現実は甘くない。
愛し愛され、幸せだと、互いに感じ合って、寄り添い支え合って生きていた三人。
短い時間でも、そこには確かに「家族の絆」があるように思えました。
それを引き裂いてしまう法や、偏見や、この社会は憎むべきなのか?
いいえ、憎むとは、少し違う気もします。
この映画は誰が悪いとか、そういうんじゃないとは思うんです。
でも、もう少し息のしやすい社会でもよかったんじゃないか?
もう少し、少数派に優しい法でもよかったんじゃないか?
もう少し、心を広く持てれば...、そう思えました。
少しのすれ違いのかみ合わせ、人間特有の心は、人間だからこそ理解しあえない。
本当の幸せの意味も、わからない。
なんだか、観終わって寂しくなっちゃいました。
それでも、たった一つの救いと言えば
マルコはその短く儚い人生の中で、最大の幸せを見つけれたことだと思います。
ルディとポールと三人で過ごした日々。
その事実だけは、この世界に永遠に残るのです。
ポールが手紙に同封した記事と一緒で、世界から見ると小さな小さな出来事かもしれません。
しかし、その小さな出来事は、とある少年と、二人の男性の、大きな大きな幸福なのです。
That’s right,
I see my light come shinin’
From the west down to the east
Any day now, any day now
I shall be released
(そう
私の光が輝きながらやってくるのが見える
西から東へと
もうすぐ、もうすぐ
私は解き放たれる)
Yes, I see my light come shining
From the west down to the east
And I swear, I swear, I swear my love,
we shall be released
(そう、 私の光が輝きながらやってくるのが見えるの
西から東へと
そして誓うわ、誓うわ
愛しい人よ
私たちは絶対に解き放たれると)
「I Shall Be Released」
ルディの歌声と、甘い甘いチョコレートドーナツを添えて。