日本を変えたい。本心からそう思う。

誇張ではない。祖国を愛するのは自然なこと。また、社会を良くしたいという欲求は人間にとって最高の自己実現へのエネルギーとなる。むしろこれに理由を求めるという発想がナンセンスだ。

しかし最近の若者にそういう奴はいない。理由はいろいろだと思うが、非常に年寄り臭い。若いうちから幸せのハードル下げすぎ。欲がない。

まあ、価値観の相違と言ってしまえばそれまで。でもこういう話に身近に触れていると、日本の国際的地位の低下もうなずける。すべての日本の問題の根源はここにあるのではないだろうか。すなわち、日本を良くしたいという国民が少なくなっているということ。非常に単純。

これは教育問題やらになりそうなので、また触れたいと思う。それにしても、愛国者だと言うと、二言目には右よりだとくる社会は異常としか言いようがない。ここにもまた触れたい。

しかし同年代に同志が少ないのも寂しい。というより絶望を感じる。まあ仕方ないから、同じような考えの人を頑張って探していこうと思う。

若者が社会を変えるのだ。


今日は手短に終わらそう。書評もあるし。

明日親が来る。前から、起業のことも含め、将来の事は話したりしてるけど、新たな展開あったし明日も話そう。

しかし彼らは、ほんまに理解があると思う。起業したいという息子に対して、「あんたがやりたいなら、やりなさい。リスクもあるやろうけど若いねんし」っていう感じで応援してくれる。心配もしてるの伝わってくるけど、これは純粋な親心でしょう。

自分も子供できたらああいうスタンスでいきたい。

そう、人生は自分の意思で切り開いていくものだ。今までもそうやって生きてきた。決して自分の本心に嘘はつかない。この嘘こそ最大の「逃げ」である。なにより自分で道を決めることは「生きている」実感そのもの。

世の中甘くない?身の丈知らず?お好きにどうぞ。あななたちはそうやって生きていってください。あなたたちと違って、僕は人の生き方を決して否定はしない。

ぼくはそれでは満足しないというだけ。それでは「生きている」感覚が得られないだけ。

長くなってしまった。


卒論で使う文献の書評をやり始めた。期限があと2週間、、、

先月の中間報告から出た研究課題は、「組織経済の均衡に論理性を持たせる」やった。んで、能率の究極的要因である、「部分の能率」「全体の創造的な経済」に関する意思決定の分析がその手掛かりになる。

だから今回やるのは、「バーナード以降の研究は、組織経済にどう論理性を持たせようとしてきたか」の研究。んで、それを概説してるのが眞野修先生の『組織経済の解明』やからこの本をネタにする。でもこれがほんま難しい。読めない。

まあバーナード自身もこの部分を「芸術」「審美」って言ってるし当然か。
組織の能率性の唯一の計算書は成功か失敗かの観察っていう、いわば経営学のArtの部分で、これを論理的、すなわちSciencenに近づけるというまさに経営学の王道。正直これは不可能に近い。でも夢ある研究やん。例を出すと、ある人の「年収1000万円」と「仕事からのやりがい」の共通の尺度を見いだして、どちらの方がどのくらい価値があるのかを正確に評価して、コントロールするっていうこと。

サイエンス・アート論争っていう経営学の長年の議論にも踏み込みたい。個人的には、経営はサイエンスとアートの両方の側面があるっていう、まあ教科書的な立場。それでも、サイエンスを多く取り入れれば、ある程度まで組織は成長できるんじゃないかって思うから、その点でサイエンスよりかな。ある意味、テイラーもアートをサイエンスと捉えて、経営学が始まったんやし、サイエンスの領域は年々拡大してると思う。