書き方教室に通い始めることになった私![]()
不器用でしたが
補助輪なしのチャリンコには意外と
早く乗れるようになり、
チャリで通っておりました![]()
1人で教室に通ってましたが
毎回私を追い詰めたのは入室時の挨拶。
不器用以前に、緘黙の自分には
他の子供の100倍は勇気が必要な行為![]()
よく子供が言う、
「挨拶なんか恥ずかしくて
出来ないわ」
のレベルじゃ無いから。
ただただ「怖い」。
「○○先生、こんにちは…」と
蚊の鳴くような小さな声でやっとこさ挨拶し
中に入ろうとすると
「声が小さい!やり直し!」
と、毎回お叱りを受けてました~![]()
何回か通い、
字を書くことは嫌いではないと
感じはじめていましたが
入室時の挨拶は常に苦痛で、
これが原因で教室に行き渋ることも
多々…![]()
あと、作品を書き上げて
先生に見てもらうときに、挙手して
先生を呼ばなきゃいけない。
あの時間も相当苦痛でした。
挨拶が出来るように躾をしてくれるのは
本当に有り難いことでしたが、
その子供がどんな事情をもち、
どんな特性ゆえ
それを苦手とするののか
今のように考えて下さる先生や環境は
あの時代、ほとんど無かったです。
私も本当は
大きな声で元気に毎回挨拶したいと思ってた。
家にいるときみたいに明るく元気に
振る舞いたかった。
でも、体も喉の奥も外に出ると締め付けられて
いつもの半分の力も出せなかった。
理由なんてもちろん解らない。
昭和60年代、私が小学生だったときに
世の中ってこうなのかと肌で感じていたこと、それは
「みんな同じことが出来て当たり前。
出来ない奴は置いていく。
だから必死で着いてこい。」
小学生以降はこんな世に放り出されるんだと
7歳にして早くも絶望的な気分を味わってました![]()
親も当時、似たようなこと言ってましたし。
私には3つ上の自閉症の従姉がおり、
特にコミュニケーション面で課題を
抱えてました。(一方通行で話を一切相手に合わせない)
我が小2息子も軽度のASD、
運動神経鈍い、漢字覚えるの苦手
お友達作り苦手で向こうから来てくれた子が
お友達、というパターンばかり。
特別支援学級でお世話になっていて良かったと
毎日つくづく感じています。
だから
みんなが皆
あらゆる事を同じように出来るわけがない。と
個人的には思います![]()
みんな得手不得手ありますから。
コミュニケーション面での不得手で
習い事でも苦しい思いをしたのですが、
習っている「字」の面では
少しずつ芽を出し始めていました。