「進撃の巨人」を見た人はみなそう思っていると思うので、改めて言うのもしらけることになるかも知れませんが、エルヴィン団長の言葉に本当に心動かされました。
人は生まれてながらに孤独で、自分の生まれてきた意味、自分のなしてきたことに意味があったか、自分の存在価値を探してしまいがちです。
しかし、それは見つかるわけもなく、ただ自分が信じるものに突き進んでいくしかなく、その後の人達がその意味を表してくれる、そこから自分の意味を感じ取ることしかできないのですね。ただ実際はそのときには自分は死んでいますから、それを知るすべはありません。
むしろ、その意味を相手に求めてしまうから人生がうまくいかなくなるのかもしれません。大事なのは願い、祈ることかもしれません。
自分に引き戻して考えれば、過去の人々、命を削り、懸命に子育てをしてくれた祖父母や父母もまた、そうして子にその意味の一部を託して亡くなり、亡くなっていくのだと感じます。
そして、自分が親の立場になったとき、改めて親の偉大さに気づくとともに自分も子にその愛情を少しでも戻していきたい、繋いでいきたいという感情が湧いてきます。
そして、自分の命もまたそうした連綿と続く想いの連鎖の中にあると気づいたとき、もちろん、今ある子の命をどう守っていけるか緊張感や責任感も同時にありますが、過去からの共同体に所属させてもらったような安心感、解放感が広がっていきます。
過去、懸命に戦っていただいた英霊に、自分の知識不足で知ることのできていない、今の幸せをつくっていただいた先人や周りの方々に感謝しかありません。
ちっぽけで、社会に中々役立てていない私でも、明るく前向きに、一つでも社会が善になるように行い、生きていくことが大事だと改めて感じました。
「進撃の巨人」エルヴィン団長の言葉
まったくその通りだ
まったくもって無意味だ
どんなに夢や希望を持っていても
幸福な人生を送ることができたとしても
岩で体を打ち砕かれても同じだ
人はいずれ死ぬ
ならば人生に意味は無いのか?
そもそも生まれてきたことに意味は無かったのか
死んだ仲間もそうなのか
あの兵士達も、、無意味だったのか
いや違う
あの兵士に意味を与えるのは我々だ
あの勇敢な死者を
哀れな死者を
想うことができるのは生者である我々だ
我々はここで死に次の生者に意味を託す
それこそ唯一、この残酷な世界に抗う術なのだ
