◇消えてしまうヤフーブログの記録を画像で一部メモ。

・まずトップ画像から↓

 

 

・訪問者数やブログリンク先など↓・・みなさん元気だろうか?

 

 

・確かに2008年以降全く書き込んでいなかったので、ヤフーがブログをたたむ決断をしたのも、仕方ないのかもしれない。いわゆるソーシャルメディアの登場で、そちらに移行していったということか?

 

・アクセス解析というのが、アメブロではすぐわかるようではあるが、再開した日が3pv程度だったのに、きょうはすでに50pvを超えたが、一体何があったのだろう・・・不思議です。

 

・ハッシュタグテーマ: 

というのは、ファンのみ公開のカテゴリ育児日誌だったのか謎・・一部消えてしまったようではあり、これも悲しいがやむを得ないか。いまや死語となったトラックバック含め、画像を添付↓

・このうち、出来事についても全く移行できていないようなので、タイトルのみ以下、記録に。

・一度移行してしまうと、やり直しがきかないという今回の措置。もう少し、利用者に優しくあってほしいと思う。

 

ヤフーブログ「★されどわれらがマーくん」が2019年末になくなるため こちらに6/18移設した。
 

・もともとは、子ども誕生 2005/12/15(木) 午後 11:09 育児日誌を立ち上げた。↓
「先月、次男が生まれました。長男は小学校5年で、11歳も離れています。この子が成人する時には、私は63歳、元気でいられるのかどうか・・・共働きで、子どもを取り巻く環境もかなりかわった様子。いろいろ思いついたことなどを、書いていければと思っています」

・翌年4月に、次男が小児ガンを発症、ブログでは「10月15日に永眠しました。お世話になり有難うございました」とトップに記すなど、闘病日記に移行し、育児関係は読者限定とした。(この読者限定の書庫についても、ヤフーから移設できず消えたのは残念)


・ヤフーでのブログは、次男の三回忌と父方と母方の祖父がいずれも99歳で亡くなった2008年を最後に、新規の書き込みをしていなかった。

・この前後の時期に、アメーバブログも開設はしていたが、手付かずのまま・・今回、移設先として活用することにしました。このため、アメーバブログ独自としては、へんてこな「残っている」など確認作業コメントのみ残っていますが、これも事実として削除はしませんが、ご容赦ください。

・今後どう活用するかは、ちょうど生き方でも転機を迎えたことであり、いろいろ考えていきたいと思います。

・当初、プロフィールに書き込んだ内容を、このブログに転記し、ヤフーブログに残っていたプロフィールを移し替えます。

年の瀬も押し迫ってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
多くの方にご心配おかけいたしました次男まーくんの三回忌は10月に営み、親族で冥福を祈りました。改めてお礼を申し上げます。長男は、背丈も母親を上回り、元気に中学校生活を謳歌しております。
なお、父方と母方の祖父が、2人とも数え99歳でことし永眠し、生と死について、改めて見つめなす年となりました。
明年も変わらぬご厚情のほど、よろしくお願い申し上げます。           2008年12月

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9月にお会いした時は元気で、100歳までは生きて、みんなにお礼の会をひらくぞ!といっていたのに、突然、心臓に痛みを訴え、12月3日の午後11時10分に永眠。数えで99歳でした。
電話を受けて伯父がかけつけたときには、薬を口に入れて飲みきれないまま、寝ているような感じだったという。とても安らかなお顔でした。

ちょうどこちらからのお歳暮も届いていたようで、今月1日には、お礼の電話がかかってきて、ひ孫にあたる息子とも元気だと話していたばかり。あまりにも突然で、僕の名前を呼ぶいつもの声が、今も耳元で聞こえるようで、辛い。

思えば、祖父は、青山学院大学在学中に、英語を勉強していて教会で知り合った牧師の娘だった祖母と、当時はおそらく珍しい恋愛結婚。戦争では、ラバウルで生き残り、9月に父方祖父の葬儀のあとお会いした際、「戦友が生きて戻ってこれなかったため、申し訳ないという思いであまり話してこなかったが・・・」と、戦争体験について、これから語ろうとしていたようでした。
祖母が亡くなってから、はや20年近くたちますが、それからずっと一人で生活。料理も自分で作りながら、近くの人たちと麻雀したり、ゲートボールをしたりと、元気いっぱいでした。
今でも名刺を常に持っていて、裏にはいろいろな役職・肩書が並んでいました。

僕たちが関西に住んでいた時には、信者でもないのに天理教の一団のいわゆる里帰りに便乗して、突然ひ孫に会いに来て、その行動力には驚かされたこともありました。

葬儀の日は、朝から雪が降り、とても寒い一日でしたが、この寒さが、体調の急変の原因だったのでしょうか・・・おばあちゃんと天国で仲良く暮らして下さいね。
きょうで三回忌。

12日の日曜日に、両親と弟夫婦二組とその子供たちが我が家に集まって、CDで読経をかけながら、まーくんの冥福を祈りました。

フルメンバーが集まるのは久しぶり、弟の嫁が我が家に来るのも、今回が初めてです。

あわせて、母の古希祝いをかねて、母の好きなカニ料理店で、ささやかな会を持ちました。

まーくんの話が出ると、僕も妻の方も辛いので、なるべく触れないようにしながら、賑やかに楽しんでいましたが、なかなか難しいものです。

この三連休では、とりためてあった、がんとの闘病を描いた映画「象の背中」と、東ドイツの監視国家の中でいかに人間として生きるかを描いた「善き人のためのソナタ」を観ました。

自由に生きていられるというのは、それだけで幸せなことなんですよね。

・・・・ごめんね、まーくん。

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9月17日、祖父が永眠。数え99歳で、診断書は「老衰」。天寿を全うした大往生でした。

最後にお会いしたのは、先月31日、従姉妹の結婚式で帰省し、入院していた病院を訪ねた際、眠りから一瞬さめて、「ありがとう」と一言声をかけてくれました。本人はあくまで病気ではないので、「見舞いはいらない」と、ずっと周りの人に言っていただけに、この日も見舞いではない形でと言われていました。

友引の日程の関係で、18日に通夜、19日に葬儀が営まれ、子ども5人と僕たち孫が集まりました。

喪主をつとめた父の挨拶で、祖父はかつて体が弱く、健康に気をつかうようになって、ここまで長生きできたことや、太平洋戦争時の空襲で子どもたちを連れて逃げ、みな無事だったこと、丁寧な日記をつけていて、米寿の際にはすでに辞世の句を詠んでいたこと、などを紹介しました。

父にとってはとても厳しい祖父だったようですが、幼い頃からの思い出では、とても優しく、しっかりしていて、近年は水戸黄門のようなひげを蓄えて風格がありました。

安らかに眠ってください。