Y (uppy). ShibaのMusic Diary

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高3の音楽バカです。
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ふと友達が自分の対人関係について話してるのを見て、思ったことがある。単純に話すのはつまらないので、少し捻った話をする。


長くなるが、しばしのお付き合いを。



小さい頃、幼稚園~小学校低学年の頃だったが、よく道徳の授業なんかで「喧嘩はしちゃいけないよ」なんて聞いたものだった。多分、対人関係だとか秩序を守るって意味で、そういうことを小さい時に教え込まれていたのかもしれない。そうこの歳になってみて、思うのであった。


しかし、それと同時に「喧嘩するほど仲がいい」なんて言葉を学んだ。言葉の意味はご存知の通り、本音を言い合える仲だ、というような意味合いが込められている。


ここで落ち着いて考えてみよう。

この2つの話は、一見矛盾してるように見える。確かに喧嘩はすべきではない、でも喧嘩するほど仲がいいなんて、世の中は言う。そこの狭間にいると、ふと矛盾に苛まれそうになる。不思議な話だ。



結論から言うと、世の中に最低限の喧嘩は必要だ。ただし、そこには必ず「」がなければ喧嘩にはならないと思う。


理屈がある。

喧嘩というものは、そもそも互いの理屈が矛盾し合い、ぶつかって生じるものである(と考える)。つまり、その理屈の中には個人の意思や想いが存在しているはずだ。

想いがあるということは、その理屈に対する本心があるとも言える。多分、軽薄なものでない限りは、意思なんてものは生まれないような気がするから。


つまり、その喧嘩の中には互いの理屈に対するいざこざ、及び意思が込められていると思える。それは、必ずその理屈に対する「愛」がなければ、そのようなアクションには成り立たないはずだと思える。



ここで、元の話に一度戻ってみる。

では何故、小さい頃に私たちは「喧嘩をしてはいけない」と教わるのだろうか? 

それは、「関係ないものに対して殴り込むな」という意図が込められているのだと考える。


先ほどの文章を踏まえて考えよう。

もし、愛のある衝突が「喧嘩」となるのならば、愛のない衝突はもしかしたら「事故」や「冒涜」になってしまうんだと思う。

そうなると、そのぶつかり合いの意味合いは必然的に変化する。つまりは、言葉が動きが、尊敬か暴力になってしまうか、そのビハインドや境界線がそこにあるんだと思う。


さっきから、簡単に「愛」だとか言うけれど、パッとしなさすぎて困るかもしれない。噛み砕いて言えば、「好きなことにこそ、正直になれ」ということだ。


言いたいことはここからだ、長くなりすぎた。


私は、今まで色んな人と話してる中で、好きな人にしか自分の意見や考え方、アドバイスや冗談を話したことがない。つまりは、興味がない人に対しては、大抵は放置プレイを続けてきたつもりだ。

何故なら、好きな人にはそれなりの「愛」、つまりはリスペクトや友情や人情やそんなものを振り撒ける相手であると(自分の中では)思って話しているからである。


最近画面の中で見ることで矛盾してるように思えることは、大して興味もないことに対して「あーだこーだ」と自論を展開させている「自称・評論家気取り」な奴らの言葉だ。

正直なこと言って、彼らから共感や面白いを得たことは、一切ない。多分、誰だってそんなものな気がする。だって、その評論に想いが乗ってないように見えてしまう、つまりは、砂上の楼閣に見えて見苦しいからであるからだ。


もしかしたら、私のこの文章に対してもそう考える人だっていらっしゃるかもしれない、それはそれで私は構わない。(というか、ここまで読んでくれてるということは、多少は興味持ってくれて、画面を眺めてる人たちな気がするんだけれども)



その友達に対するアンサーを述べるのならば、「愛」を持ち続けて接して来いということである。

有難いことに、私の知ってる人たちは同じような趣味や好み、趣向を持ってる人であり、多少なりとも私の声に耳を傾けてくれるいい人ばかりである。まず、そのことに感謝しなきゃなと思ってる。

それに加えて、自論を展開するのは必要だが、相手の声にもしっかり耳を傾ける、聞き手に回るバランスも必要な気がしているわけだ。

そのバランスでやってきたようなものだった。だから、好きなことに対して良い声も悪い声も、仲良いやつに冗談も下ネタも、なんでも吐いてきたつもりだ。


私はかの「自称・評論家気取り」にはなりたくはない。首を吊っても、腹を切ってもあんな奴らには興味ない。

結局は、好きなことに正直でありたい。正直な故に、善悪も吐けるような、そんな人でありたいとどこかで願っている。

その為のアクションが、このように見えてるのではないか、私の行動を改めて客観視して書いてみると、こんな感じだ。



適度な「喧嘩」は世の中には必要だ。

でも、そいつで他人を傷つけるようなことはしないで、互いを尊重できる一挙手一投足にこだわって、言葉と心とアクションに向き合いたいなと思っている。





珍しく、音楽ネタ以外に自論を語ってみた。

くだらない話にお付き合いいただき、ありがとうございます。


近々、BIG YELLツアーの総評なんか書きたいななんて考えてます。書く時間があればな


以上、Shibaでした。

熱中症には、お気をつけて!!!