「生きる意味」とはつまり、「生き抜くこと」である。


不可避的に訪れる死を前にして、人生を振り返り、納得して笑顔をもって死ねたなら、

この人生に意味を持たせ、「生き抜く」ことができたと思えるのではないかと思う。


そのためには、自分の人生観・価値観というものを決して他者の評価・判断に委ねるのではなく、

確固たる価値軸を持って生きることが必要だと思う。


その前提には知識と経験が必要であり、それらを積み重ねることで価値観を築き、

そしてそれらと対峙する中で価値観を篩いにかけていく必要がある。


人は生きる中で多くの事物・人物に触れ、その中でいろいろなことを感じ、

触発されて生きていくはずである。だからこそ、それらの出会いの総量を可能な限り増やし、

そしてそれら全ての場面での経験を満足に変えていくことが、

俺にとって最大の「生きる意味」なのだと思う。もちろん、その満足が生じるのが

その場その場でなくとも、死に際して「満足」であるならば構わないはずだ。


そして、もう一つ求めたい「意味」として、「仕事」がある。

連綿と続く時間の流れの中に、有限な存在として俺はいる。

しかし、俺の固体としての存在がたとえ有限であろうとも、

この連綿と続く時間の流れの中で、連綿と受け継がれる何かを

俺は自分の手で残したい。


生きることの本質は自由であると思う。常に如何なる場面であろうとも、

どのような外的な制約があろうとも、究極的な自己の行動の決定権は自分のたもとにある。

しかし、社会や組織で生きるためには全ての自由を行使することは不可能である。

構成員同士の利害の衝突・闘争を避けるためには、個々人の自由を部分的に放棄する必要が生じる。

つまり、逆説的ではあるが、「如何なる自由を放棄するか」ということを自己決定することにこそ、

人生の本質があるのではないかと思う。

「自由」と「自由の部分的放棄」を考える上でも、その幅を広げるのは知識と経験であると思う。

常に自分と周囲の状況を知り、その中で可能な選択肢の数を多く持てる者ほど自由である。


「生き抜く」ために生きるべく、知識と経験の総量を積み上げ、自分の価値軸を篩いにかけていかなければならいと、今思う。


3時間熟睡法   


「『8時間睡眠の常識』というものは睡眠信仰であって、科学的根拠はない。むしろ長時間の睡眠は「だるさ」や「覇気のなさ」を誘発し、精神的な弊害を引き起こすのである。人間にとって必要な睡眠時間は3時間だけなのである。」


以上が当著書の主題である。そして、その根拠と有効な実践方法を解説したのがこの本である。


人間の神経は「交感神経」と「副交感神経」からなっている。そして、それぞれに「緊張状態」と「リラックス状態」を司っている。このふたつは互いに交代で作用しており、この切り替えで仕事モードと休息のけじめをつけている。しかし、生活リズムが乱れるとこの切り替えが上手く行かなくなり倦怠感が抜けなくなるのである。つまり、現在こういった症状にある人が、この状況から抜け出すためには、生活リズムを自覚的に刻み、睡眠サイクルを自ら律していく必要があるということである。


短い睡眠時間にカラダを慣らすには2~6ヶ月必要だと言われている。その間、体内時計を一定に保つことで、疲れを翌日に持ち越さない睡眠を取れるようになってくる。睡眠不足は実質的な時間量の不足によるものより、質的な要因によるものが大きく、その第一の原因となるのが、「生活リズムが狂っていること」だからである。惰眠を取り過ぎる生活を続けることによって、「長時間睡眠が当たり前である」とカラダが解釈し、睡眠効率を悪化させ、疲れの抜けないカラダになってしまう。また、脳の疲れを抜くために睡眠は重要であるが、長時間の睡眠は休息以上の「弛緩」を脳に与え、頭のキレも悪化させる。自律神経にも同様のことが言え、過ぎた休息によって機能が低下し、「だるさの抜けないカラダ」になってしまう。


何より目的意識の強さがなければ、こういったリズムを築いていくことは難しい。「なぜ睡眠時間を削って起きているのか」という目的意識を強く持ち、効率の良い睡眠を心掛けることで、脳もカラダも一層健康に働かせることが可能になるというのが本書の主張である。以下では効率のよい睡眠の助けとなる行動を箇条書きにして並べる。



・短時間睡眠で、「休息」と「覚醒」の狭間を明確にする。そして、覚醒時には可能な限り脳を働かせる。

・食後の睡眠は効率が悪い。胃袋を空にしてから寝るべき。

・ある程度固いベッド、そして頭の形に合う柔らかめの枕を選ぶべき。

・起床時間を固定する。

・体内時計は太陽光でリセットできる。何より、目から光を取り込むことが重要である。

・2度寝は全てを台無しにする。

・起床後はなるべく早く五感を刺激するべき。「太陽光」「声を出しながらあくび」「軽めの運動・体操」「大きめの声での挨拶」「熱いシャワー」が有効である。

・睡眠前に、「フレグランス」や「音楽」を用いて」α派を体内に取り込む。

・睡眠の20~30分前に軽い運動や入浴によって体温を上げる。


以上である。


私もこの本に習って3時間睡眠を実践し始めて4日経つが、今のところだるさの抜けない毎日が続いている。何より、就寝時間・起床時間ともに設定した時間通りにいっていないところに失敗の原因があるのは明白である。


朝の寝ぼけた状態でも、強い意思を持って起きる精神力が、この睡眠法の肝である。

筆者はここのところ、とある興味深い学説について考えることに虜になっている。

その名もズバリ「自信家論」!!

それは要するに、世の中の「カリスマ」や「モテる奴」というものは、得てして「圧倒的な自信」というものを兼ね備えていたりするものであるという考えである。

気の早い読者諸君は「そんなの当たり前だろ!!何にも興味深くねぇよ!!」と口になされるかもしれない。

いや、待ってくれ!とりあえず黙ってついて来て頂きたい。


そもそも私が、この学説を考え付いたきっかけはこうだ。


「矢沢栄吉と長渕剛は、一体どっちの方がカリスマ視されているのだろうか??」


この疑問から出発した。


「俺の知る限り、名曲やヒット曲なら圧倒的に長渕であるはずだ・・・。

いやしかし、、、『カリスマ』という観点で見るならどちらかと言えば、矢沢栄吉なのではあるまいか・・・。」


私はこう考えたのである。

しかし、今一度私はここで立ち止まって考えてみることにした。


「いや待てよ・・実際のところ、栄ちゃんの凄みって何だ?彼の代表曲とされる『蟻よさらば』や『チャイナタウン』など、、実際のところかなりの駄曲なのではあるまいか・・??」


そう思うに至ってしまったのである。つまり、現在に至るまで私は、具体的に「栄ちゃんの凄みは何か?」ということを知らないまま、「栄ちゃんはすげぇ!!」と思い込んで生きてきたのである。私にとって「栄ちゃん」という名前の響きには、今や「ロックの神」というようなイメージが付着している。それはひとえに、彼自身の「圧倒的な自信」というものに裏打ちされた、「俺は日本ロック界の伝道だ!」と言わんばかりの振る舞いによって、植え付けられてきたものなのではあるまいか、、、ということである。


またこの点について、「押尾学」という俳優を例にとって更に検証していきたい。彼は芸能界屈指の「共演者キラー」として知られている。これまでに実際、ドラマや映画で競演した数多くの女優たちと夜を共にし、そして交際を繰り広げてきたというのである。それも、「矢田亜希子」「平山綾」「安部なつみ」など、いい女揃いである。

確かに彼は二枚目である。だがしかし、一視聴者として「ブラウン管を通して見る彼」、特に「ミュージシャンとしての彼」と言うものは、相当滑稽なものに見えてならない。そんな男が何故、こんなにもモテるのか?私の見解はこうである。大したセンスもなく、歌唱力もない彼ではあるが、「俺はガキの頃からずっとハードコア一筋です。」と自信たっぷりに言う。そして、その実を見透かせない人間は、彼の自信に満ち満ちた表情と発言を受けて、彼に凄みを見出してしまう。こう考える。そして彼が女性に交際を挑む際は、この「自信」の矛先を転換しているだけのことであり、理屈は同様であると考えるのである。そしてこれこそ、典型的な「自信家論」の形ではないかと考えるのである。

実際に彼は、相当な自信家であるという逸話がある。彼が女性と交際を始める前、彼は「お前は俺がいないと生きられない。」こうしばしば言い切るそうである。実際にそんなこと在り得ないというのは自明である。だが問題はそこではない!相手を錯覚させるに足る話、もしくは見透かすことのできない話などは自信満々に断言してしまうこと。これこそ「カリスマ・モテ男」のセオリーである。

そう、どうやらここにきて、「カリスマ」もしくは「モテ男」たるべきは、「吹いてみる能力」というものも必要とされそうである。


また、彼らの持つ共通点について他の要素を検討してみると、その自信の存在自体が傍から見ていると「どことなく馬鹿っぽい」ということ、そして、彼らについて行くファンたちというのも、見ていて「なんとなくカルトっぽい」ということが言えそうである。そしてこのカテゴリーで考えてみると、アントニオ猪木やZEEBRAなんかもこの中に入ってきそうである。


以下では、この仮説を検証付けるために筆者が行った実験の結果を以って、結論と代えさせて頂きたい。現時点においてまだ「カリスマ」でも「モテ男」でもないとされる、一般的な男性が上記した「自信家論」のセオリーに則って行動した結果、果たして「カリスマ・モテ男」になり得たかという実験の結果である。


それについては、また改めて記させて頂くことにする。乞うご期待頂きたい。ではまた改めて。

そんでもって今日の話。


「俺の青春はいつ、どこだ?」と聞かれたら、


迷わず俺は


「大学3年から4年にかけて通った七里ガ浜の海岸だ」


と答えたい。


大抵そこに一緒に行くのは地元の中学時代の友達。


今年はまだ3・4回くらいだけど、去年のこのくらいの時期は、週3回くらいのペースで通っていた。


そこに行って海の匂いを吸って、そんで全裸になって大ハシャギしながら泳ぐ。


深夜の2時とか3時過ぎに行くから、当然暗くて裸を見られる心配も少ない。


一度、高校時代の友達を5人くらい連れて行ったときは、


ハシャギすぎて全くまわりを見てなかったせいで警察が来ていることにも気づかず


注意されたこともあるけど、特にそれ以上なにもなく無事だったりもした。



そんでもって、今年の夏はほぼ海外で過ごすというわけで、


日本の夏の締めくくりには、やっぱりここを選んだわけ。


今回は車2台連ねて行った。古瀬カーと成光カー。



深夜の海を泳ぐと、本当これ以上ないってくらい、満ち足りた気分になれる。


なにも考えずひたすらハシャイで、そんで全裸になってこれ以上ないってくらい開放的になる。


そうして波に揺られたり、潜ったり、飛び込んだり、大声あげたり・・。


ホント、たぶんこれ以上に満たされることって、そうそうないと思う・・。


まぁ、ある意味それを今回の旅行で見つけたいとは思うけど。


でも、とりあえず思うことがある。俺の幸せについて。


それはたぶん、気の知れた仲間と晩年まで暮らすこと、そして開放的な空間を得ること。


この二つだと思っている。


だからこそ、ゲストハウスを考えるんだね。


なんていうか、凄く落ち着いていて、リラックスできる心地よい空間・・


それでいて何故か皆、開放的になって大ハシャギできちゃうような・・


そんな空間を演出したい。


そこに皆でたまって、ワイワイできたらきっと、俺は一生幸せなんだと思う。


まぁ、なんとなく手を伸ばせば届きそうな夢だし、頑張らない手はないなぁ。

2ヶ月半も日本を離れるのは初めてのことだ。


ということで、その分の日本の夏を満喫するべく、ここのところひたすら遊び続けているわけだ。


まぁ、贅沢を言えばきりがないことはわかってるし、たぶんこれで十分すぎるくらい満足している。


昨日は健と二人で山谷に行った。浅草の近くにあるドヤ街ね。


最初は特に目的もなく町並みを見たかっただけなんだけど、


地元の商店街の裏路地に気になる建物があって、ちょっと見に行ってみるとそこには


「二十世紀浴場」


というなんとも昭和的な寂れた銭湯があって、興味本位で入ってみた。


中には如何にも昭和の下町のおばちゃんみたいな感じの初老くらいの女の人が番台にいて、


ポスターは浅草の名画座のヤクザもののだし、


風呂は全く洒落気のない白いタイルのがちょこんってあるだけで・・。


しかもそこに来る客は当然っちゃ当然だけど山谷のドヤに住んでるっぽい労働者風の人ばっかりで・・、


なんか本当に昭和にタイムスリップしてきたみたいな気分になったね。


まぁ、めいっぱい汗かいて、それからお決まりのコーヒー牛乳を飲んで、暫くボーッとしてから外に出た。


その後はまた、特に当てもなく山谷をブラついた。


夜7時を過ぎるぐらいになると、商店街の電気が消え始め、


ホームレスの人たちがダンボールを組み立てて寝グラを確保し始める様子が見れた。


「なるほど」、という感じで山谷のドラマを垣間見れた。



健のバイト先の「行燈旅館」にも立ち寄った。


思っていたより100倍お洒落で、しかもコンセプトとか建築とかが物凄く良く出来ていて、


自分がコンセプトホテル、もしくはゲストハウスなんかを造るときの参考になった。


というか、凄くインスパイアーされた感じ。


「なるほどねー、こんな風にすれば上手くいくのかなぁー」みたいな程度だけど。



その後、二人で飲みに。PUBに行きたいということで、とりあえず上野に移動。


上野で健としばし、色んなことを語り合った。


主に36組の仲間の話とか、旅行の話とか、仕事の話とか、昔の恋愛とかね・・。


あとは写真のこととかゲストハウス経営のこととかも話した。


将来、健はエーゲ海でそれをやりたいとのこと。


そんでもし、俺もエーゲに行ってインスパイアされらなら、是非共同出資でやろうと。


本当にやれたらと思う。


むしろ本当にやれるくらい、思いっきりのよい男でありたいと俺は思っている。



その後、健が俺の旅立ちをホッピーで祝いたいと言うので、神田に移動した。


神田駅のガード下にあるスタンドの居酒屋で二人で漬物をつまみにしてホッピーを飲んだ。


そんな雰囲気も二人で夢とか未来とか語り合うには良かったと思う。


なんか現実の湿った雰囲気が凄く漂ってる中で、


なんていうか、サラリーマンなんかが現実逃避的な酔い方をしている中で、


俺らは悲観しないで済む未来を模索したいみたいな、そんな雰囲気で飲んでいた。



健は俺にないものを多く持っている。


はみ出すことを恐れず、(そりゃまぁ、多少の不安はあるだろうけど、、)自分の道を進んでいく力がある。


俺はそんな彼に求心力をもらいつつ、自分の到達点を見失わないよう、これからも進んで行きたい・・。

実験的に書いて見る。


今、南アフリカ旅行の準備中・・なにを持っていこうか真剣に悩む。


一応、自分なりに旅のテーマを決めておく。


「自分の好きなこと、心地よいこと、それらを単発でもいいからひたすら集めること・・

そして、その集合体として、自分の『なりたい』もしくは、『これがしたい』ってことを考えたい。」


とりあえず、今回の旅の目的はコレでいく!


まぁ、すんげー金かかりそうだけどね。もういいやぁー。その辺のルーズさは俺の持ち味ってことにするべ。


そんでもってもう一つ、


「人生なんて、意味ありげに見えて、実際意味なんてないんだよ」


by世織のセオリー。


ということで、とりあえず意味づけを後回しにして、今を生きてきたい。


このことだけ自分に言い聞かせておきます。いや、別に考えることを放棄するワケじゃないのよ。


まぁそのくらいわかるよね、コレを読んでる今の俺!!


よし。これを俺の原点にするぞ!


たぶん、後で見たらこっ恥ずかしいだろうけどね・・。


まぁよい。がんばるぜ、人生楽しむ天才を目指して!!