長くなってしまったので結論を先に書いておきます。

一橋祭で企画やります!ぜひ来てください!という宣伝です。

その他どういう流れでやっているのかを下に長々と書いておりますで、もしよろしければお読みください。

 

 

これまでの記事でも多少書いたことがありますが、僕は現在国立市にある、とあるNPO法人の活動に参加しています。そこでやっていることはパンフレットに載るような説明をすると「しょうがいしゃ地域自立支援」ですが、恐らく多くの方はこう聞いても「何のこっちゃ?」と思われることでしょう。今この世の中で、しょうがいを持った人がどこで暮らしていることが多いか知っていますか?現在の仕組みでは施設に入れられることは珍しくなく、そしてそれに対してかつての自分を含め多くの人は疑問を抱くということもしていません。しかしそうではなく、しょうがいがあろうとなかろうと自分で住みたいところに、介護者を入れれば地域で暮らしていける、暮らしたいと、そのための活動をしている団体です。

 

そこで普段僕が何をしているかですが、まずは普段の生活があるわけなので一緒にご飯を作ったり一緒にミーティングに出席したりといった日常の介護に始まり、国立市や東京都との交渉ごとに参加させてもらったり、そこの団体が定期的に開催している劇に出演したり、フルインクルーシブの取り組みの一環として国立市の小中学生との関わり(後述)などです。

そこでの活動がそろそろ2年経とうかというところ(今みたいに真面目にやり出してからは1年8ヶ月ほど)ですが、そこで活動する中で様々なことを学んできました。本当にたくさんあるので書ききれないのですが、中でも一番大きいのは自分の価値観というものを疑う、疑わさせられたことでした。

今まで自分はずっと”普通”の世界を歩んできた中で、その”普通”から排除されてきた、そしてその排除に対して抗ってきた人たちの世界はかなり自分のものとは違っていました。小中学生との関わりは僕一人でやっているわけではなくて、そのNPOに小さい時からずっといる同年代の人や、同じく学生の人とやっているのですが、最初の頃は自分にとっての”当たり前”が全然通じなくて結構ガッツリ揉めたりしたこともありました。しかしそうやって揉めて話し合いをする中で、自分の持っている”当たり前”を持ち込んではいけない領域があることに次第に気付かされ、それが自分にとっては結構衝撃でもありました。

 

子どもたちとの関わりは「フルインクルーシブ教育」というものを目指す取り組みの一環として行っています。僕の小中時代もそうでしたが、皆さんが小中学生の頃にしょうがいを持っている人は特別支援学級にいませんでしたか?フルインクルーシブ教育とはそうではなくて、しょうがいのある子も含めて全ての子が同じ教室で勉強するかたちのことです。

さてそう言われてどう感じましたか?「難しくない?」とか「しょうがいを持っている本人にとってどうなの?」なんて思いませんでしたか?僕は去年子どもたちとの関わりを始めた頃に、この活動の趣旨はそれだと聞いてそう思いました。でもやっているうちに、皆で色々と話したり、はたまた子どもたちの関係の変化の様子を見ていたりして全然夢物語とかじゃないなと思うようになりました。その間もちろん普段の介護とかも続けていて段々と様々なことを感じるようになっていきました。そして今年の夏学期(6〜7月)に障害学の授業に潜ったのですが(履修抽選に外れたので先生に直接メールを出して履修外から受けました)、そこで普段感じたことを先生に話したりしているうちに、普段考えていることとインクルーシブ教育というものを上手くやれば繋げて考えられるんじゃないかということに気付き、卒論をそういった内容で書くことにしました。

簡単に言えば「できるとかできないって何だ?」ということであったり、「自分で決めるって何だ?」ということを軸に考えたいなぁと思っています。

 

そんな感じで僕のこの2年間をざっくりまとめると1年半ほど実際にやって、それを最近になって本でまとまったものを読んで考えを深めていっているという流れです。

そんな中で出会ったのが立岩真也さんという方の本なのですが、立岩さんは実際にしょうがいしゃの方の介護などを行っていたこともあり、そこで見聞きしたものを基に本を書かれている方なので少し似た活動をしている身としては勉強になることがたくさんあってとてもワクワクします。立岩さんの本に出会えただけでも真面目にこれまでやってきていて本当に良かったと感じます。

 

僕は最初こういった分野には全く関心がなく、またいつか書きますが本当にひょんなことがきっかけでやり始めました。「介護」とか聞くと、「他人のためにただ尽くすだけ」とかそういったイメージを持っていましたし、自分に無縁だと思っていた、正確にはそもそも何も考えたことがありませんでした。でもやってみたら、確かに”他人”のことを真剣に考えるのですが、”他人”のことを考えるというのはすなわち”人”のことを考えることであり、それは巡り巡って自分のことを考えることにもつながってくるのだと、特に最近強く感じるようになりました。そして特に”普通”に抗ってきた人たちとの活動に身を置いていると知らず知らずのうちに築いていた価値観、常識、そういったものに疑いを抱く、抱かされる機会も多く、それらの中には考えてみれば単純にそうした方が社会の方で収まりがよいというだけの「意外と大したことないじゃん!」と思うものがたくさんあり、一方でそういったものの呪縛は強いことが多く、それから逃れられるというのは自分の人生をとても楽にしてくれるものでもあります。僕自身は一浪一留、卒業後の就職先もないという文字にして他人事として眺めると結構悲惨な状況にありますが、それでもそんなことは本当にどうでもいいやと思っています。それは世の中一般の価値観というものに大した価値はないということを身をもって感じることができたからであり、これをやっていなければ得られなかったものであろうと思います。(別に投げやりになってたりとかするわけではなく、方法は一つじゃないよねって思ってるということです。)

 

まあこんな感じで結構充実した、人生最大に忙しいを常に更新するような慌ただしくも非常に刺激的な日々をここ一年ほど送っているのですが、昨年関連したことを学内でもやるためのサークルを友人たちと作りました。そのサークルで今年の一橋祭で「車椅子体験」と「講演会」を開催します。詳しくは今年の一橋祭のサイトを見てもらいたいのですが、どちらもかなり頑張って作っているのでぜひ来ていただきたいです。ただ本を読んだりしているだけでなく実際に動かないと得られないものとはどんなものなのか、ぜひ感じに来てください。

参考に一橋祭のサイトと、一橋祭委員のInstagramで僕たちの団体を紹介してもらった投稿のリンクを載せておきます。ぜひ覗いてみてください。

 

 

ひとつむぎ×かたつむり×ゆびっこ講演会|第53回一橋祭第53回一橋祭公式WEBですリンクikkyosai.com

 

 

 

 

何か企画について質問などありましたら、ぜひ僕たちのTwitterのDMや(もちろんリプでも結構です)公式LINEからお尋ねください。

ちなみに講演会はオンライン配信もありますので、ポスターの右下のQRコードから参加してください。

 

 

LINE:@346nzgtw

 

上で”ひょんなことがきっかけでこの活動に参加するようになった”と言いましたが、そのひょんなことがあった時僕は「ああ今ここでこの活動に参加しなければ今後一生関わることはないだろうし、これは一つの人生の分岐点だな」と直感して、参加することを選びました。2年ほど経った今、その直感は合っていたなと思います。

今この記事を読んでくれたあなたも、小さな一つの分岐点にいます。別に来たからといってこの活動に絶対に参加しろとは言いません。しかし何かが変わる機会には大いになり得ます。そして願わくば一緒にやっていただけると嬉しいです。

心よりお待ちしております。