自分の自閉症に気付く、受け入れると、身の回りの同類、お仲間と思われる方々にもついつい目が行ってしまいます。


うちの子は当然ですが、(というか自分の気付きのきっかけですし)

自分の父、兄、要は家族の男子は全員、程度の差こそあれお仲間だと思っています。


特に父で特徴的なのが「異常なほどの説明ベタ」。

ほぼほぼ何を言っているのかわかりません。


その点については、自分は昔は同じ課題を持っていましたが、克服したと思っています。

大学、大学院でボロクソに言われつつプレゼン術を叩き込まれたことと、

以前の職場はなんだかんだ行って大きな企業でしたので、OJTがしっかりしており、

そこでもみっちり教育され、むしろビジネスシーンにおいては武器になっているはずです。


まあ、時間をかけて準備すれば大丈夫、むしろ自分が理解できるようにやれば、

結果としてロジカルにかっちりはまった(自閉症の人間でも理解できる)プレゼンになる、ということです。


また、今の会社でも現時点お二人ほどお仲間と思える方を発見しています。


一人は、父と同じく異常なまでの説明ベタ、さらにはいいたいことをずけずけ言うので

最初は「なんなんだ、この人」と思ったのですが、お仲間であろうと察してからは

非常にリスペクトしております。

この人は「人が言った事をおうむがえしのように繰り返す」くせがあり、

そこらへんも私が目をつけている一因です。

(私の場合は、自分の言葉の鸚鵡返し、同じことを2回言ってしまうくせなので、ちょっと違う)


もう一人は、職場の飲み会で、唐突に公衆の面前で告白をしてしまった、という武勇伝を持っているお人、

その後先考えない、というか相手のことを慮る事が出来ない感じがいかにも、と前から目をつけていて

いざ、仕事の絡みが発生してみて「やっぱり」「なるほど」と納得してしまったくらい、典型的な感じでした。

初対面の人や、初めての環境でどうしていいかわからず、挙動不審気味でした。



まあ、そういう人でも働ける、というのは今いる会社はなんだかんだ言って「やさしい」ところなんでしょう。

(自分も、就活のときに面接のプレッシャーで挙動不審を繰り返したのであまり人のことは言えない)

 まあ、最初はもちろんショックですよね。前々から、人よりズレている、と思う節があったとはいえ、いよいよ本格的に、自分は「普通」ではないのか、、、と。

 今では、確かに人とはちょっと「違う」けど、それは「差」ではなくて単なる「違い」だと思えるようになっています。

 

 例えば、「寒がり」の人がいますが、それをわざわざ「通常より耐寒能力が劣っている」とマイナス査定をつけることはまずないでしょう。そういう方は、ちょっと厚着するなり、夏でも羽織るものを一枚準備するなりで、簡単に対応できますね。

 

 私のような、日常生活が送れる軽度のものだったら、「自閉症」も同じだと思っています。

今までの、自閉症の自覚がなく、ちょっと世の中生きにくいな、と思っていた私は、「人より寒がりなことに気付いていない」のと同じ、ということです。みんなが半袖シャツ一枚なので、自分も同じ格好でいると、何故か自分だけ風邪を引く。「寒がり」なんだから当たり前、私には長袖が必要だったんですが、そこに気付けていなかった。

 ただ、気付きさえすれば、色々と自衛手段が取れます。そもそも寒いときは外に出ない、とか、それでも外に出ないといけないときは厚着する、とか。超単純です。

 

 この超理論にたどり着いたこともあり、自閉症の自分にとってニガテなシーンに遭遇しても、今は比較的落ち着いていられます。ニガテが克服できたわけではないので、客観的に見るとあまり解決できてないんですけどね。

 

PS1

ご存知の方もいるかもしれませんが、自閉症のニガテのひとつに「比喩」があります。

「寒がり」のくだりは、勿論「比喩」ですが、自分自身、実際に寒がりでもあることから

途中からこんがらがってきました。

欧米人は、特に寒さに異常に強い(鈍い?)ので、実際に、今も「私だけ長袖状態」です。

 

PS2

上記、厚着エピソードの続きとして、

比喩と似ていますが、「言葉通りに受け止めてしまう」傾向もあります。

だから、「ちょっと着すぎじゃね?」という意味で「何枚着てるの?」と聞かれても、

普通に「5枚」という感じで答えていました。

最近さすがにそうじゃない、と気付きました。

子供がASDだということで、その手の情報を色々漁るようになったが

妙なデジャブ感というか、「あれ?これ私のことじゃね?」という感想をもつことがしばしば。

子供の行動についても、理解できる、共感できる、自分も昔そうだった、的なことが

多いことに気付きました。

 

例えば、大きな音がニガテで、小さいころ実家の電話が黒電話で、すごい大きい音でなるものだから苦手意識が出来てしまい、今でも電話はちょっと苦手だったりします。

また、味覚も好き嫌いはないのですが「刺激の強い」ものはニガテです。特に辛いもの。

自分も小さいころは図鑑を読んだり粘土でなんか作ったりと、「一人で黙々」系の遊びばっかりでした。

うちの子は、先生がちょっと間違えたり、いつもと違った順番で物事を進めたりすると、「先生違う、~~だよ」と(英語で)指摘をするそうですが、

私も小さいころそうことをよく言っていたそうで、家庭訪問のたびにそういう話が上がったそうです。

(だって、実際に先生が歯クジラと髭クジラをごっちゃにしてたんですもの、、、国語の授業でしたが。さらには、アゲハチョウとキアゲハの模様の違いもわかってないんですもの、、、算数の授業(線対称の例として)でしたが。)

あまつさえ、確かに敬語も苦手です。徹底すれば出来なくはないんですが、

その堅苦しい雰囲気に息が詰まってしまい、自分から崩しにいってしまうこともしばしばです。

 

 

そういう、なんかモヤモヤした感じの中、たまたま「自閉症簡易診断」的なものを見つけてしまい、ためしにやってみたところ、結構な高得点を獲得してしまったわけです。

 

こ、これは!!と(仕事中でしたが)嫁にメールで情報を入れたところ、

「あらあら」くらいの、軽いトーンの返しがありました。

 

どうやら、自分より先に、嫁の方が「この人なんか変」と、気付いていたようです。

いつごろ気付いていたのか、などはおっかないので聞いていませんが、、、。

 

まあ、理解のある(または諦めのいい)奴で助かりました。

 

ということで、書いてみます。

 

自己紹介にあるように、私が自閉症を自覚したのは、子供がそう診断されたのがきっかけですので、まずは子供について、(個人情報を伏せつつ)説明します。

 

昔から、言葉などが遅れていることから、自治体の支援センター的なものに、たまに通っていたそうです(伝聞形なのは、嫁から聞いただけで、私はそこにいったことがないからです。典型的なダメ夫で申し訳ない、、、)。

 

その後、家族でアメリカに赴任することになったのですが、アメリカでもそういった発達遅れのサポートを受けていました。

(ちなみに、このときも、(主に嫁が)すごく苦労をしていて、さらには会社の同僚の方に助けて頂いたりして、と紆余曲折ありましたが、それも機会があれば。)

 

で、そっちの分野の進んだアメリカですので、そこでオーチズム(自閉症)の疑いがある、となって検査をして、ということになったわけです。検査の結果としては、断定はできないが、否定する結果も出てこないため、「自閉症」という前提で教育プログラムを組んでくれています。外人であること、幼児であることから、なかなか「断定」はできないそうです。

 

昔から、妙にこだわりが強かったり、トミカをひたすら並べたり、こっちがあいさつしても無視してひたすらトミカの解説を聞かせてくれたり、強い光や大きい音に異常におびえたり、といったところで、今思えば典型的なASDの特徴です。

 

親の不安をよそに、アメリカ生活をエンジョイしていて、もう自分がアメリカ人であるかのようにふるまっています。

 

嫁は、一時期は、一生子供のために尽くす、くらいの覚悟を決めていたようです。私も同類であることが発覚してからは、その私がなんだかんだいって今普通に一家の主をやっていることから、そこまで心配する必要なくね?と、かなり楽観視できるようになったはずです。

 

うん、自分の自閉症も役に立った。

(自分が自閉症だから、子供に遺伝したんじゃね?というツッコミは却下)