小さな頃

人生の成功は、、


「いい学校に入って


いい会社に入って


いい給料をもらう事なんだ」


と漠然と思っていた









それはいつの間にか

どこかで刷り込まれた

どこかの誰かの価値観






気付いた時には

すっかり刷り込まれて

信じきっていた






でも、

いざ「いい学校」に入っても

上には上がいるし

頭がいいだけじゃない、

その他のあらゆるスペックの

比較競争が生まれる





名前が知られてるような

大企業に勤めることが成功なんだ、

と思っていたけど

そこの中にも出世争いや

様々な競争が繰り広げられている





いい給料こそ、

ピンキリ過ぎる、、。


どこまで行っても

上には上がいて


いざ成功と思っていた世界にいたとしても

不足感を感じてしまい

幸せではない、と気付く











やっとこの年になって思うのは


『いい』ってゆう感覚が

漠然とし過ぎていたこと



「いい」って何?



「人と比べて

平均より良ければ幸せなんだろうか?」







そんな訳なかった








今思う

人生の幸せって



今がどんな状況だろうと

目の前の世界に対して

「あ〜幸せ」

と思える心を持っているか、どうか

だと思う




朝起きて

「空気が美味しい〜あぁ幸せ」と

思えてれば

どんな環境で生きてようが

その人は幸せだし





反対に

どんなに恵まれた

会社で給料でいても

目の前に幸せを感じられる心が

なければ

それは成功ではないと思う





人と比較してばかりでも

幸せには到達できない





結局

どんな職業でも

どんな給料でも

どんな環境でも



ただ


「あ〜幸せ」


と思える精神状態が

何よりも一番欲しいんだよね






それを手にする為には


とにかく


自分に優しく

自分に甘く

自分をいわたって

自分をねぎらって

自分を大切にすること




自分に対して

100%肯定してあげる優しい目を向けること




そうすることで

心にゆとりが生まれる




そのゆとりが

幸せの感度を高めてくれる






そして



自分にとっての

「いい」が一体何なのか?

具体的に考えることだと思う




人それぞれ「いい」の基準は違う



いい心地

いい気持ち

いい気分



自分が、そうなるのは

一体どんな時なのか?



いい学校

いい会社

いい給料という

漠然としたものではなくて




澄んだ空気を目一杯吸うことが

気持ちいいのか



あったかいカフェで

ホットコーヒーを飲むことが

いい気分なのか



ふかふかの布団にくるまって

ほっと一眠りすることが

心地よいのか




そんな自分だけの

「いい」を探して

自分にとってのいいを集めていく









一つ一つは

ちっぽけな事に思えるけど

その積み重ねが

毎日を作り、人生となっていく





それが何より

自分にとっての幸せだと思う





世間体や

人との比較

平均とかのものさしではなく



人と比べての

損得勘定ではなく





自分の中にある

自分だけのものさしで

自分だけの「いい」を創っていく




自分にしか分からない「いい」を

毎日に

たくさん詰め込んでいくこと





物やお金や地位や名誉が

幸せにしてくれた時代は終わり





今は

自分の心が「うん、いいね」って

思える精神状態を

自分の為に

細かく細かく創ってあげる





それができる時代に生まれたことに

感謝しつつ

(昭和はそれを願っても

まだまだ出来ない時代だったと思う)

私なりにできることを

やっていきたいな〜と思う




あったかいほうじ茶ラテが「いい」♡