齢、24歳。
この夢の始まりは中学生まで遡る。
農業を営む父とはじめは冗談で話していたことだ。
私は小さい頃からお菓子作りやパン作り、料理を趣味としていた。
進学を決める時に将来はパティシエになって、何でも屋さんのレストランをやりたいと夢を抱いていた。
父はあそこの畑を買っておれがオーナーでお前は店長な!と笑いながらよく話していた。
だが現実的に考えてあたしは夢で終わるだろうと、父もそう思っていたはずだ。
大学進学の時、私は悩んだ。
その頃には父と話していたことなんてあまり覚えているはずもなく、そもそも冗談だと思っていたので4年生大学に行こうかなんの大学に行こうか考えていた。
真剣に考え、あの時父と話していたことを思い出し、製菓の専門学校に行きたいと話た。
パティシエなんて食っていけるはずないと言われ、じゃあ調理師!と言ったがそれもあまりかわらない。
結局選んだ道は、栄養士だった。
その頃の兄の彼女が通っていた短期大学を勧められた。その学校にはWスクール制度があり、昼間は栄養士の勉強、夜は調理師の勉強をする道を選んだ。
幸い、高校生のときは人並みちょい上くらいの勉強ができたので指定校推薦でその短大に入学することが出来た。
面接の時に将来は店を開きたいという話もした。
入学した後は、また、そんな未来のことなどわすれ、学業もそこそこで友達ともたくさん遊んだ。
無事、免許も取得し、就職したのは給食の委託会社。その会社に1年半、社会の辛さを知り、心を痛め、実家に帰ることになった。
ちょうど農繁期だったので家業を手伝い、すぐに次の仕事が決まった。
ホテルのバイキングの厨房だった。
はじめはうまくやっていたし、すごく勉強になるしもっと続けたかったが、家庭の問題や職場のいじめにより、1年半強でまたやめてしまった。
だが、ここであの時話していたレストランのはなしが現実化してきたのだ。
ホテルの職場で出会った人とわたしは結ばれ、その人を生涯の、そして夢を叶えるためのパートナーとして一緒に歩んでいくことを決意した。
今はまだ、スタートラインにたったばっかいだから、これからたくさんのカフェや個人経営のレストランをたくさん食べ歩いたり研究していくことになる。
わたしはわくわくしている。
ここからが本当の始まりになる。
ちょくちょくここを更新してオープンまでの奇跡を刻んでいこうとおもう。
この夢の始まりは中学生まで遡る。
農業を営む父とはじめは冗談で話していたことだ。
私は小さい頃からお菓子作りやパン作り、料理を趣味としていた。
進学を決める時に将来はパティシエになって、何でも屋さんのレストランをやりたいと夢を抱いていた。
父はあそこの畑を買っておれがオーナーでお前は店長な!と笑いながらよく話していた。
だが現実的に考えてあたしは夢で終わるだろうと、父もそう思っていたはずだ。
大学進学の時、私は悩んだ。
その頃には父と話していたことなんてあまり覚えているはずもなく、そもそも冗談だと思っていたので4年生大学に行こうかなんの大学に行こうか考えていた。
真剣に考え、あの時父と話していたことを思い出し、製菓の専門学校に行きたいと話た。
パティシエなんて食っていけるはずないと言われ、じゃあ調理師!と言ったがそれもあまりかわらない。
結局選んだ道は、栄養士だった。
その頃の兄の彼女が通っていた短期大学を勧められた。その学校にはWスクール制度があり、昼間は栄養士の勉強、夜は調理師の勉強をする道を選んだ。
幸い、高校生のときは人並みちょい上くらいの勉強ができたので指定校推薦でその短大に入学することが出来た。
面接の時に将来は店を開きたいという話もした。
入学した後は、また、そんな未来のことなどわすれ、学業もそこそこで友達ともたくさん遊んだ。
無事、免許も取得し、就職したのは給食の委託会社。その会社に1年半、社会の辛さを知り、心を痛め、実家に帰ることになった。
ちょうど農繁期だったので家業を手伝い、すぐに次の仕事が決まった。
ホテルのバイキングの厨房だった。
はじめはうまくやっていたし、すごく勉強になるしもっと続けたかったが、家庭の問題や職場のいじめにより、1年半強でまたやめてしまった。
だが、ここであの時話していたレストランのはなしが現実化してきたのだ。
ホテルの職場で出会った人とわたしは結ばれ、その人を生涯の、そして夢を叶えるためのパートナーとして一緒に歩んでいくことを決意した。
今はまだ、スタートラインにたったばっかいだから、これからたくさんのカフェや個人経営のレストランをたくさん食べ歩いたり研究していくことになる。
わたしはわくわくしている。
ここからが本当の始まりになる。
ちょくちょくここを更新してオープンまでの奇跡を刻んでいこうとおもう。