このブログは、管理人である無頼猫がネット(の一部)にはびこる
【なりたがり】と見受けられる人々について考察・検証を行ってみた記録である。
元々多重人格というのは性格の多面性・人間の裏表を表現した言葉であったが、
解離性同一性障害という病気が認定されるにあたって、
多重人格者という言葉は別の意味合いを持つようになった。
解離性同一性障害はまさに【多重人格】と表現するにふさわしく、
本来ならば多面性として自身でコントロールできるはずの自分の一部が
解離して別の人間であるかのようにふるまい、
基本人格と呼ばれる本来の自分はその間の記憶を失ってしまう。
(この辺りの詳しい説明は、学術書なり詳しい説明のあるウェブサイトなりを参照していただきたい。)
しかし近年、ネット上で(ごく一部は実生活でも)
私は解離性同一性障害(多重人格)であると公言し、
自身でも自分の中に別人格が存在すると思い込みたがる人々が増えている。
それが、【なりたがり】と呼ばれる人々だ。
しかし、ネットの上では誰もが【自称多重人格】である。
無頼猫、つまり私自身も解離性同一性障害との診断を受け、通院加療中である。
文字でこのように記すことは容易い。指先を少し動かすだけのことだ。
しかし、実際に私が解離しているのか、解離性同一性障害であるのかを証明する術はない。
それは言い換えると、実際に私が解離性同一性障害であるかを確かめる術はないということだ。
では何故このようなブログをはじめたのかといえば、
多重人格を騙る人々のサイトを閲覧することが非常に不快だと感じたからである。
貴方に人の気持ちを思いやるという心の余裕があるとしたら、是非想像していただきたい。
貴方自身、もしくは身近な人―或いは大切な人が苦しんでいる病気を、
さも一種のファッションやステータスであるかのように扱い、
虚偽の情報を垂れ流している者の存在を知り、心穏やかでいられるだろうか。
しかし、そういったサイトを閲覧するにあたって、
次第に怒りや悲しみとは異なった感情が生まれて来たことも否定できない。
それは形容しがたい、文字では表しにくい感情である。
何故彼らは別人格を演じたがるのか。
何故彼らはそれをステータスだと思うのか。
何故彼らは多重人格になりたがるのか。
このブログに登場する自称多重人格者は、特定の個人をモデルにしたものではない。
もしこの記事に出て来る人、~に似てると思っても、それは彼(彼女)ではない。
だがしかし、彼らのおおまかなところで共通する特徴のようなものがあり、
このブログはそれを誇張して記述していることは否定しない。
また、解離性同一性障害であるとサイトに掲げているサイトの
管理人の全てがなりたがりではないではないとだけ明記しておく。
私自身が自らの病気について調べるにあたり、
同じ病気である人々が真面目な姿勢で運営しているサイトは非常に参考になった。
堅苦しい挨拶はここまでにしよう。
以降はどちらかといえば口汚い言葉の記事が続く。
おそらくその記事を目にした人は、私が薄笑いを浮かべている姿を想像するだろう。
しかし、解離性同一性障害という病気が架空のものではなく、
実際に存在し、その病気に苦しんでいる人々のことを忘れているわけではない。
私自身、その障害を背負って生きなければならない者の一人なのだから。
この気持ちを、文章にすることで整理したいのかもしれない。
もしくは、一片の良心とおそらくは自己保身から、
解離性同一性障害とはあのような病気ではないと主張したいのかもしれない。
また、私は正義感によって動いているわけではない。
彼らを正しい道へと導こう、真実に気付かせてあげようなどといった感情は微塵もない。
そんなことをする義務はこれっぽっちもない。
後は好奇心という欲望の赴くまま、文章を書き散らかすだけである。
(2005年8月)