今日は朝から咳が激しく、マスクをしての作業。

夕方、H社の係長が急遽お見えになる。

当社の製品を見て、イメージと違ったとの事。

PR不足を痛感した。

その後、中国旅行の報告書作成。

以下はその文からです。

一応、報告書回覧と思ってここにUPします。

中国視察旅行の報告書

社長が名を連ねるMATEC中国視察旅行に参加を決めたのが、20072月。正直、世代の違う方との旅行に不安ではないのですが、違和感がありました。

ただ、順序からして弊社社長が行くべきと感じていたのですが、事業継承をこの3年の間にと決定しているということから、社長から頂いたチャンスと書くと大袈裟ですが、きっかけを頂いたと前向きに解釈をしました。また、快く受け入れていただいたメンバーの方有難うございました。

前日、遅くまで仕事を整理していたので、13日朝に関空に集合して、ようやく現実味が沸いてきました。

1時間程で上海浦東空港に到着し、まず日本特に大阪から上海までの身近さに驚きました。次に驚いたのは空港の大きさです。また、イメージでは近代的な空港をイメージしていましたが、外観はまさしくイメージ通りでした。しかし、所々に空港内も工事現場が多く、現状の中国を垣間見た気がしました、

すぐにバスでの移動が始まり、先程垣間見たような気になっていた中国が思った通りという事に気付くまで余り時間を要しませんでした。視界の殆どが工事中であったのです。上海でこの有様ですから、オリンピックを控えている北京はどうなのだろう?そう考えさせられる状況でした。

移動中のバスからの視界も新鮮でした。地震が少ないという事で貧困層の住むマンションまでが超高層マンションという、日本では考えられない光景がどんどん目に飛び込んできます。

また、道路の舗装も現状は良くは無く、今後の公共事業にリストアップされるというのは容易に想像できる状況です。

1件目の訪問先から、表敬訪問で未経験の雰囲気が新鮮でした。その他、企業訪問も数社行いましたが、行く先行く先どこも共通するのは「エネルギッシュ!!」の一言です。

上海小糸有限公司様も日本と遜色のない設備で、生産体制を敷いておられ、利益を次の優遇制度を受ける為に増資を重ねているのはこれもまた中国の現状ではなかったでしょうか。

仕事もさる事ながら、夜に上海の街にバスに乗って出かけ、そこからも中国のエネルギーを感じました。至る所にネオン、ネオン、ネオン。高速道路の高架にずっと連ねてあるネオン、色々なパターンで光り続けるビル、日本のどこを見てもあり得ない発想です。そして、かなりの光物好きと見ました。

その後、小柴社長と英語も中国語も話せない二人で更に深い夜の中国に食事に出かけましたが、光が見える水面くらいの深さで止めておいた方が良いと感じたのも現在の中国でした。

二日目からは表敬訪問ラッシュ。上海の嘉定工業区、肇慶市工業区、広州の黄埔区と日々、遊牧民のようにバスや飛行機を乗り継ぎ、政府の方の手厚い歓迎を受けました。「乾杯、乾杯」でボルテージが上がり、調子に乗ってしまうのを抑えなければならない状況で仕事とは言え、本当に楽しい時間を過ごしました。

この視察旅行で感じたのは、現在では聞くよりは小ロット多品種の製品製作に取り組んでいる弊社がバッティングする事は少ないでしょうが、人件費が日本と同等になってくる時代の中国の技術力はどうなってくるのでしょうか?そう問い掛けたくなるような状況です。

日本は段々と少子高齢化が進み、今後かなりの勢いで減ってくると発表されたのは記憶に新しいです。100年後には4000万人程度まで現在の1/3と予想されています。今までの常識では考えられなかった状況に進んでいるわけです。


一方、中国はどこも人、人なのに、現在も一人っ子政策が続いている状況です。

このエネルギーからすると、中国企業が日本企業に発注する状況になるでしょう。市場でも中国の企業が世界中の企業を買収に掛かっています。


今回の視察で中国という国は今まで以上に好感を持ちましたが、ビジネスという視点から見ると規模に関係なく、会社全体で独自の特色を出せるかを常に模索しないと、いつの間にか上を見上げると中国の企業が大きな口を開けて今にも食わんとする状況に陥ると感じました。

現在、弊社は若い社員で構成されているので、常に若いエネルギーを加え続け、逃げるのではなく、別の土俵に居るくらい、独自性を見出し続けたいと思います。


最後になりましたが、成田社長、東西田社長、また尽力頂いた日中関係者の方、本当に有難うございました。


以上