いつ世を儚んで、希望を失ったのか、彼が書き残したことからでは、すべての想いも苦悩も、わからない。誰しも、外に出せない思い、辛さがあるものだ。

彼の名前に馬があるのは、午年に出生したからだと言うのをテレビで話しているのを聞いて、なるほど、私とちょうど干支二回り違うんだな。私が○○歳だから、彼は、○○歳か。いいな、若いし、見るからに好青年の風貌だし・・・。と、羨ましく想い、彼をテレビで見るたび、自分の年齢から24を引き算すると出てくる彼の年齢を知っては、そうか。もう大台なんだな。時が経つのは早いもんだ・・・と、しみじみ思っている矢先の訃報だったので、息子ぐらいの年代の午年の同胞(と、勝手に思うだけだが)を喪った寂しさは、当然感じる。

もう、彼を見る機会も減って、年齢比べもできないんだと思うと、虚しい。せめて願わくば、自身を追い込んでいた辛さ、柵(しがらみ)から解き放たれて、自由に野を駆ける駿馬として、別の世で健やかに、心穏やかに暮らしていてほしいものだ。