『ハーバード流交渉術』の書評とともに『アドラー心理学』の方もついつい昨日は観ていました。アドラー心理学については、私は読んでいたにも関わらず…すっかり読んだ内容すら忘れていました
それを書いた人にとっては人生を変えるほど大きな衝撃があったというてさので、そんなものかだったかな?と思いつつ、内容をみてみました。そして、もう一度読もうかな?と思ったので今日はパラパラとめくってみました。
アドラー心理学の出発点は、まず物事は〝原因論〟から始まるのではなく〝目的論〟で始まるというのです

これって重要な考え方で〝過去〟に捉われてばかりいないで、真の〝目的〟を考えることで未来を変えることはできるという理論です。
ここで例えられていたのが、馬に水を飲ませたいというお話です。私がこの馬を水飲み場まで連れていくのは私自身の問題ですが、馬が水を飲むかどうかは馬の問題だというのです。自己承認の観点で、馬が水を飲んでいなければ第三者は馬に水を飲ませられてないではないか?と責めるかもしれませんが、私は知ったことではないと言うのです。だって、水飲み場に連れていくという役割はきちんと果たしたのですから。
自己承認といえば…
今、話題の映画『アラジン』です。
アラジンは、ジャスミン王女に自分の素性を明かせなかった。というのも、前後でもその描写があるように自分を他者が言うように〝ドブネズミ〟と表現しています。
この自己承認ができない。〝ありのまま〟でいられないとどうなるの?という事です。
気付けば、自分の人生を生きているつもりが他者からの承認(評価)ばかりを気にし過ぎて自分の人生を満たすどころか他者の承認すなわち他者の目的のままの人生を歩んでしまうというのです。
当たり前ですが、幸せになれないという。
同じような内容が、先の『交渉術』の方にもあります。
それが、ハード型とソフト型。
ハード型は、自分の優位性を武器に抑圧的に相手に不利な条件を押し付ける交渉で、ソフト型はその逆。相手のいいなりになる交渉手法。知らず知らずのうちに相手をやり込めるのです。その原因は?と考えると相手が下請け会社だからいいなりになれ!とか反対に相手が大口の顧客だから言うことを聞かないといけない。みたいな
冒頭にも書きましたが、私はサッパリこの本の内容が頭から抜けていました
しかし、この本にも最初の方に書かれていましたがアドラー心理学というものは学問のための知識ではなく、人間理解の真理、また到達点として受け入れられていると。それは言い換えれば思想で終わるのではなく学問という枠組みから脱皮し汎用性の高いコモンセンス(共通感覚)となっているからです。
気づかぬうちに私の中でも根付いている思想というか…考え方の基本になっていると思うのです。
さて、この書評見つけるに至ったのは昨日の動画同様サムネイルからです。
何を探していたかというと、人に日記(ブログ)を書かせる為です。誰にかというと、私の場合は娘です。日記療法というやつです。目的は簡単、日々の変化(気づき)を書き出す。そしてそこから行動を変える。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人生が変わる。私はそう思っていますが…
目的論を知っていても、目的の核となるモチベーションまでは人に与えられません。
私ができることと言えば、馬の話と同じようにせいぜい種を蒔くことくらいです。