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最近は、少しずつ暖かくなってきましたね。年が明けて早1ヶ月。私が開業してから約2週間と経ちました。元々、年内の開業を目指していたのにも関わらず遅らせたのには理由がありました。

それは、妻の友人の不登校の息子さんの受験があったからです。

小学校5年生から不登校になり、勉強ができたからという理由で中学は進学校へ受験をし、合格はするものの学校に通えず。中学三年になり、再びまた進路を考える年齢に…。そんな夏の終わりの頃に私は彼と出会いました。

 世間全体が、このコロナ下で学校通いもままならない今、やっぱり教育が大事だということで漠然とではありますが塾みたいなことを出来たらいいなと思っているという話を妻としていました。

そんなこともあって妻は友だちであるその子のお母さんに私の話しをしたのがきっかけでした。「家庭教師でも何でも勉強のお手伝いしますよ。」と。しかし、不登校児で何年も家にこもっているのに一筋縄ではいかない。そこから彼とは打ち解けるまでには何回も何回も、訪問して彼の好きなマンガやゲームの話…徐々に勉強の話に至るまでになっていきました。勉強の仕方やスケジュールの組み方を教え、少しずつではあるが11月には学校にも週2日ほどで通えるまでになりました。12月の学期末の試験では、目標には2点ほど足りなかったけれどその結果を伝えにわざわざ我が家に顔を見せにきてくれたのでした。

 しかし、クリスマス頃には「通信の高校にしようかな…」と彼はお母さんに漏らしたそうだ。

けれど、その子のお母さんがそれを受け入れず一般の高校に行って欲しいと伝えたと妻から聞いた。それまで彼が一応、第一志望校にあげていた家の近くの高校に行くには5教科をすべて10点はあげないといけない。塾にも行けない、学校にも週2日ほどの登校日にしか行かないでそれだけのテストの点数をあげるには至難の業だと。それこそ、朝から晩までつきっきりで勉強をしないと。それでも間に合うかどうかもわからないレベルだった。

そう考えていたからこそ、私も時間を空けていました。

ですが、年が明けてから何度も声を掛けたがまったくの音沙汰もなし。親から情報を取ると行きたい近くの高校は今の成績では無理だと受験の前に門前払い。その結果、偏差値を見て、兄弟が通っていたところを勧められたという学校に願書を出したという。

正直なところ、私には最初に志望していた近くの高校も兄弟が通っていた高校もどちらも本人の望んでいた進路ではない気がしていた。でも、一応は受験はするが…本当に望んでいたのは彼の漏らした「通信の高校でいいかな?」が本当の望みだったのではないかと考えていた。

 試験の結果はどちらであれ、また次の試練が来る。

合格すれば、本当にその学校に通えるのかという問題。

不合格であれば、落ち込むし、次の進路も考えなければならない。

どちらにしても試練がある。大人ができることと言えば、それでも見守ることと、アフターフォローをしっかりするしか出来ない。

 話は変わりますが最近、嬉しかったできごとがあります。娘の話です。20歳になったら…〇〇をする。みたいなことをずっと言ってきました。私も、別に何かを望むこともなくなりました。今はアルバイトでも社会生活は送れているし、そこでできた友人ともうまくいっているようだ。そんな中、先日東京の専門学校に行こうと思っていたけれど、こんな(コロナの)時期だし専門学校は諦めてパパみたいに地元で事業を始めようかな。というのである。目からウロコでした汗

私は、娘のことで気付いたんですよね。あるがままの状態で、それでいいんだよ。誰かが承認し、本人がそれを受け入れることができると、それは自信に繋がり、未来を変えるエネルギーになることを。

私ができることはその道が〝存在する〟ことを示すだけ。こっちへ行きなさい、あっちへ行きなさいと道を押し付けてもどこかで無理が出る。不登校の彼にも「うちの子の接し方や、小さい子どもの面倒見の良さがいいから、小さい子向けの塾を始めたら手伝ってくれないか?」と話したことで自分は存在してもいいんだ。居場所があるんだと目の輝きが変わり、私との関係性も変わったように思う。

 親が、自分の考える進路を押し付けることは一つのハラスメントだと私は考えている。ひとつの思想、主義、経験不足の子どもが知らない情報を親が知っているからこれを正しいからしなさいと強いることも結果としてハラスメントになっていると考える。そうじゃなくて、子どもに与えられるのは選択肢ではないか?そして、そこには自分で選んだという認識。それが〝選択の責任〟であり大人が教えられることだと思う。