教習所に通いだした
運転できる喜び
本当に嬉しかった
だが、運転はなんとかなるが
講習を受けなくはならず
それが頭に入らなくて
最初は脳ミソが痛かった
舅が施設に入れたので
義母と毎日顔を付き合わせては
あまり良くない状況なので
再就職先を探す事にした
教習所に、就活と
目まぐるしく毎日が過ぎた
舅の体調が悪くなり
施設から病院へ入院
心筋梗塞だったが
しばらくすると肺炎になってしまった
義母は毎日病院には
いきたくない言うので
就職試験で外出した日は
帰りに私が病院へと足を運んだ
何も出来ない状況だけど
様子を見に行った
あの日は試験面接が
3度目になっていて
かなりナーバスになっていたなぁ
舅の病室へ入ると
明らかに違う匂いがしだしていた
私は帰ってから旦那くんに
明日、会社の帰りに病院に寄れないの
と聞いたが
旦那くんは週末に寄るからとの返事
しかし次の日の朝に
病院から連絡が入り
舅は亡くなったのである
最後に舅に会えたのは
私だった
義母の説得は簡単ではなかった
昔の女性なので
他人に預けるかなんて出来ないゎ
と、話しにならない
じゃぁ、自分でするなら
相手は病気なんだから
と、気持ちを切り替えてね
と話した所で
理解できるはずもなく
デイケアに行ってる時は良いけど
朝と夜は大変
舅は夜は何度も起きて
徘徊
義母は寝られないから
朝は機嫌が悪くて
また舅を怒っている
そんな事を一年続け
やっと預ける方向に向かった
私は
まだ小さい二人の子育てに
自分の体の事や
舅の認知症と重なり
今でも良く頑張りました
と誉めてあげたい
預けて一年たった頃
施設を変えて欲しいと言われる
ずっと居られないのが
本当に大変でした
あの頃旦那は
仕事が忙しく
手伝ってもらえなくて
義母の施設への送り迎えや
洗濯物の回収など
私が自転車やタクシーを使っていた
私は一念発起し
運転免許証の取得に挑戦した
タバコを辞め
夜更かしも辞め
食事も気を付け
今まで悪態ついていた義母にも
感謝する事を心掛けた
検診を受けてから3年
35才でガンの異形細胞は消えた
だが
一難去ってまた一難である
舅の認知症が酷くなり
施設に預けるかどうか
義母の説得が続いた
義母は舅がボケて
何もわからない事が許せなくて
朝から怒っていた



