こういう内容を自分が書くのは

気恥ずかしさがある。

でも、恥ずかしさに負けて

これを書くのを止めるのは、

このテーマに反してる。

自分がこの話を聞いて、

感銘を受けて、

それをシェアしたいと思ったことも、

ちょっとした愛。

 

自分に響いたのだから、

他の誰かにも響くかもしれない。

そんな思いからのシェア:愛の行為は高次元。

恥ずかしいとか、

人の目を気にしてしまうのは、

低次元の恐れ。

比べようもないのである。

きっと。

この話は、

ジョンキムさんがclubhouseで

ニーチェについて話されていた回で

触れられていた。

例として、

電車で自分が席に座っていて、

他者に席を譲ろうとする場面

を挙げていた。

席を譲ろうとする行為は、

愛や思いやりから来ている。

 

けど、その親切が受け取られずに

「いいえお構いなく」などと断られて、

恥ずかしい思いをするかもしれない。

 

見ていた周りの乗客に

「ダサい」と笑われるかもしれない。

でも、そういったことに対する恐れは、

元々の愛、思いやりの尊さに比べると、

比べようもなく低次元。

みたいな話だった。

また別の例として、

愛するパートナーに

熱い紅茶を淹れて持っていくとき、

つまづいて転んで、

熱い紅茶をパートナーとそのPCにぶっかけて、

やけどさせたり

PCを壊してしまったりする

という場面も挙げていた。

ジョンキムさんは、

たとえそんな目に遭っても、

3秒で気持ちを切り替え、

「大丈夫?けがはない?」と、

転んだパートナーを気遣える人でありたい、

と言っていた。

この辺り、

本田晃一さんの白魔術に通じるものも感じる。

 

根っこの愛に向ける視線。

 

不器用な愛が、

結果として迷惑をかけた(かけられた)としても、

根っこの愛の方に目を向けるという姿勢。

 

簡単ではないだろうけど、

みんながそうなれたら、

優しい世界が訪れそう。