閣僚の一部が再び参拝を表明したことで、
またも問題をぶりかえしている靖国神社。
僕は参拝をやめるべきであると思う。
子供の時分に考えていたことは、
靖国神社参拝というのは戦争に加担したものに敬意を表するのではなく、
望まぬながらも国家に強制されて戦没したものを慰霊する、
という国家から犠牲になった国民への哀悼、反省、ということではないか、ということだった。
しかし、日本以外ではそう考えられていない。
日本では仮に上記のような精神が共有されていたとして、
それは慰霊の望みと反対の結果を生んでしまっている。
あるいは靖国神社参拝への批判は、
それを根拠にした批判というより、批判することを前提にしているもので、
やめたところで変わりはしない、という人もいるだろうと思うが、
中国や韓国は一枚岩ではなく、
批判するためのよい材料だと考える人もあるいはいるかもしれないが、
実際に戦争を賛美するものとして不快に感じている人は多いだろう。
僕たちの立場からすると、日本の戦争犯罪を云われ続けることは、
自分が何をしたかよりも、自分が何であるかについて責められることであり、
理不尽に感じる場合がある。
ただ、戦争は終わって「わずかに」七十年であり、存命の方もいる。
被害を受けた人にとっては除けない傷みだと思われる。
あらゆる政治指導者も彼の受けた教育から自由ではなく、
何が能動的に論理で割って獲得されたもので、何が植えつけられてしまったのかを、
明確に区別できる人はいない。
日本の閣僚の靖国神社参拝がその種の一つなら、取り除くことには意味がある。
