「快楽中枢ボタン」であるゲームとの付き合い方 | 大阪で働く起業家のブログ

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モバイルとウェブでみんなで世界をよりよくする事業「株式会社モーコミワールド」の事業推進奮闘日記です。

どのように起業を進めていっているか。
などなど書いていきたいと思います♪

日経の記事でソーシャルゲームの問題点について書いた記事があり、


それに関連して思うことがあったので、書いていきたい。




「行き過ぎたソーシャルゲーム GREEで不正行為の内幕


無法の「換金市場」と「射幸性」」

http://www.nikkei.com/tech/business/article/g=96958A90889DE1EBE2E1E0E4E4E2E0E1E2E0E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2






最近自分の中で長年、説明できなかったものが一つの考えとしてまとまった。




ゲームや賭博に溺れるのがなぜいけないのか

そしてそれらとどう付き合っていけばいいのかということだ。





結論から言うと、私達はそれらがなぜ楽しいかの意味をしっかり認識し、


活用の仕方を考えて付き合っていく必要がある。




それだけで、毎日の生活が大きく変わり、幸せな環境を

自分自身で作っていけると思う。








順を追って説明したい。

ゲームや賭博はダイレクトに快楽にアクセスする濃度が高すぎ、

そのため、快感の割に実際に得られるものが少ないのだ。




これらの行為とその本質を、 快楽中枢ボタンと名付けたい








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ゲームを例にとって話を進めたい。

ゲームはすごく面白い。

なぜゲームが面白く、熱中しすぎてしまうのか?




人間の全ての行動欲求の根底にあるのは、「快楽である。

ゲームはこの快楽をダイレクトに満たすのだ








人類は、快楽を求める本能によって生き残ってきた。

快楽をもとめることが生命を維持し、子孫を反映させることに

役立ってきたのだ。




私達は空腹時に食事をしたり、喉が渇いたときに水を飲むと

「快楽」を感じる。




花を美しいと思うのも一説には被子植物による果実がある場所が

心地良く「快楽」と感じるかららしい。笑顔がいいと思うのも一説には

そこが安全だという信号であり、それに「快楽」を感じるからだという。




私達はおおよそ「生存に適したこと」に対して「快楽」を感じる








ゲームはこの過去において生存に適していたことに、


近い「快楽」が得られるのだ。




狩りをする事による喜びや、植物を育てることによる快楽はそのまま

自分が生き残るための食料に結び付いた。




これらに近い、ゲームの特徴である「ポイントを獲得する」

「達成度を明示化」などにより、人は「快楽」を得ることができる。

違うのは後に何も残らないことだけだ






一方、ゲームに比べて勉強やスポーツなどはどうだろうか。




勉強による知識の獲得や新しい技術の習得もゲームと同様に楽しい。


心地がよい。これによって新しい情報や技術が自分を成長させる、


つまり生存競争に対して有利になるからだ。




スポーツも、それによって体が鍛えられるために、


生存能力を上げるのに役立っている。




これまでの過去数万年において、だいたい、快楽を感じる方向に


頑張ると何かが得られた。快楽向かって行動する事が生き延びたり、


環境を改善することに結び付いていたのだ。




繰り返しになるが、過去においては「生存と快楽は直接つながっていた」のだ。








ただ、科学の進歩により、人はある部分を切り分ける事ができるようになった

人間は「快楽」だけを切り分けて追求する事ができるようになった






一方身体の進化はゆっくりとしか進まないために、快楽を感じる本能は

森の奥地の木上で生活していた頃とさほど変わっていないのだ。




このギャップが、これまでと違う現象を招くこととなった




充分に栄養が取れているのに、不必要なまでに糖度の高い、甘いものを食べる。

他の栄養が少なくても、気持ちよくなる物質の高い、タバコや酒やコーヒーや

紅茶をたしなむ。




生存と切り離した恋愛を楽しみ、子孫を反映させる目的と切り離して体の関係を持つ。

麻薬や合法ドラッグのような、正常判断を狂わせるような快楽さえ求める。




もう直接、快楽と生存は結びつかなくなった







そして極めつけがゲームだ。

ゲームは簡単に指先だけで、快楽を得れられる。




そうこれらが、「快楽中枢ボタン」だ。








ソーシャルゲームが出てきて、ゲームが何も生み出さない時代は

終わったと思う。コミュニケーションを楽しむことはできる。




しかしゲームの神髄は「快楽中枢ボタン」なのである。








考えてみれば、人間は理性によって行動すると思われていたのに、

近年の研究は人間がロジカルに行動していないことを解き明かしてきた。




心理学や脳科学では、人間には様々なバイアスがあることを見つけた。

行動経済学では人間はロジックでなく、不合理な行動をすることを

解き明かした。




結局人間は殆ど理性でなく、本能的な「好き」「嫌い」で行動している。

そしてその本能と、現代社会で役に立つものが乖離してきているのだ。


「快楽中枢ボタン」はその最たるものである。






快楽は得られるが、終わった後に現実には何も得ていないことを続ける。

これは、まるで、脳に電極を埋め込まれたマウスが、快楽中枢を刺激する


ボタンを衰弱死するまで押し続ける姿に重なって見えてこないだろうか。








だからと言って「快楽中枢ボタン」がいけないわけではない

コーヒーやお茶にまで話を広げたことから分かるように、


使い方を間違えなければいいのだ。




古代エトルリア人はサイコロゲームに夢中になり、

寝食を忘れることで飢えを乗り越えたという一説もある。

活用次第では世界をよりよくするのに役立つのだ。




すばらしい薬だって、症状もないのに服用したり、過度に摂取すれば

立派な毒である。うまく付き合えば、現代のストレス社会を乗り越え、

何かを達成していくのに「快楽中枢ボタン」はとても有効なのである。







ならば、私達はこの「快楽中枢ボタン」に操られるのではなく、

それを自分でコントロールしないといけない。





そのために何が必要なのかを簡単に次に書きたい。






認識する:

 これは快楽中枢ボタンを押しているだけかどうかを認識する

 (これをやり続けることは、進歩のない麻薬ではないのかを問う)




 自分にとって(ストレス解消などのために)どのような

 快楽中枢ボタンがあり、それぞれどれくらい効果的なのか見定める




自分の方向性を決める:

 今やろうとしていることが、新しいものを獲得したり産み出してるか、

 自分の環境をより良くするか、他の人の環境を良くするか、

 自分の生み出したものを繁栄させるか、他の人の環境を悪くしないか

 などを考えて、自分の方向性を決める




マッピングする:

 自分がやる気のでる快楽中枢ボタンを自覚し、自分の進みたい方向に

 進む活力となるようにマッピングする




 何かを達成したら自分にご褒美を与える、やる気が下がって来た時に

 この快楽中枢使うなどを考えて使う。


 そして自分が達成したい方向に進めるように、効果的にそれを使う。






これが「快楽中枢ボタン」とよりよく付き合っていく方法だと思う。


そうしていくことが自分の人生をよりよくし、引いては社会を

よりよくすると思う




日本人の多くは、既に飢えをしのぐために働いているわけではない。




ならば何のために働くのかということを考える上で、

日本は、快楽のために生きることから離れる時期ではないかと思う










(最後に蛇足ですが)

自分のサービスではそういう効果的な使い方をしていきたいと思う。

前向きに頑張る人は是非、参加してみてください。


成長できるSNS「モーコミワールド」http://www.mowcomi.com




(引用)


なぜゲーミフィケーションは効果的なのか

http://hiromikubota.tumblr.com/post/7921791774/why-gamification-works


ゲームはなぜ面白くだめなのか

http://www.suzaku-s.net/2007/04/why_game.html


欲しいほしいホシイ── ヒトの本能から広告を読み解くと

http://www.amazon.co.jp/dp/4844328719




その他過去に読んだ数多くの心理学、マーケティング、脳科学、

行動経済学の書籍から無意識に引用している箇所が多数あると思います。

新しいことを書いたわけではないと思います。ご了承ください。