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むびふるの映画日記 20代映画好き社会人のレビューブログ

初めまして。映画好きの社会人むびふるです。
映画はオールジャンル見ます。特に好きなのは人間ドラマです。

「この映画を見てよかった!」と
満足感を高められるようなブログを目指したいです。

こんな映画を見たい方にお勧め

 この映画は同じシーンを数人の視点から映し出している映画であるため、同じシーンでも前半と後半でそのシーンの意味が変わってきます。「怪物は誰だ」といった主題に沿って、真実に近づいていくワクワク感を感じられます。意外な展開にはっとさせられることも多いため、そういった刺激を求めている人にとっても、面白いと思います。

 

 また、映画を見ている間だけでなく、振り返って深く考えることで気付きがある映画です。1回目の鑑賞は、何も事前情報を入れずにただただ物語に酔いしれる。2回目はある程度知識を入れたうえで見るとまた新しい発見があり楽しめます。かみしめるほどに味が感じられる、スルメ映画とはこの映画のことだと感じます。

 

「怪物だーれだ」

怪物を探して、探して、最終的にたどりつく事実に呆然とするはずです。

 

あらすじ

 シングルマザーの早織(安藤サクラ)は、亡くなった夫の分まで息子の湊を大切に育てています。ある時、いつもと様子の違う湊に話を聞くと、担任の先生である保利先生(永山瑛太)から暴言・暴力を受けていると聞かされます。真実を知るため奮闘する早織であったが、保利先生からは「湊君は星川君(クラスメイト)をいじめています。」と言われてしまい、さらに真実が遠のいてしまいます。果たして真実は見つかるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

↓以下ネタバレ含む考察です。

 

 

 

 

考察

 

◯母である早織の価値観の押し付け

 シングルマザーの早織と心優しい湊は二人で平凡に暮らしていた。ある日突然、湊が自分で髪を切り始めたりといったおかしい様子に気づく。学校で起きたことを追及する早織は、一心に子供を思い行動する母であるが、湊との会話の中には、違和感を感じる言葉がぼつぼつと出てくる。ラガーマンだったお父さんの話を引き合いに出しながら、「お父さんは複雑骨折しても普通にただいまって帰ってきた。」「湊には結婚して家庭を持って欲しい」「普通の家庭でいいの」と湊に話す。

 母として湊の幸せを願っての言葉かもしれないが、湊にとっては負担になる言葉だと気づけない。価値観を押し付けていることに、気づけない。

 「お父さんみたいになれない」と湊が落ち込むくらいだから、普段からこのような言葉をかけていたのだろう。湊は、母の期待に沿えない自分は一生幸せになることができない、生まれ変わるしかないと自分の人生を否定することになる。

 早苗のこうした価値観は、今は亡き夫が男らしい性格だったことや、シングルマザーとして湊をしっかり育てないといけないといった気負いなど、様々な要因で生まれていると感じた。相手がどういった苦しみを抱えているかを知らずに、偏った価値観を表出することで目の前の相手を傷つけているかもしれない。

 

◯保利先生の思い込み

 ある時、湊が物を投げて暴れている姿を目にする。保利先生は湊の言い分も聞かずに、依里をいじめていると勘違いし、生徒の前での謝罪を強要する。

 その他にも無意識に「男らしく」と言った言葉を投げかける。本当に無意識に。

 恋人から「シングルマザーってモンスターペアレント化しやすいじゃん」と聞いたり、他の職員から、「親はモンスターだよ」と聞いたり、そう言った言葉から湊の母親像が出来上がってしまった。真実か分からないような偏見や噂がいつの間にか自分の考えとなって、言動や行動に現れているところが面白い。

 

〇湊役(黒川想矢)の演技力

 今回の映画では、湊が自分の中に眠っている「得体のしれない感情」をどののように表現するかが重要だった。湊自身が自分で理解できない感情を表すため、表情やしぐさで伝えるところが映画的表現でしびれた。

 湊の教室で依里を見つめる視線、依里に髪を触られたときに手を握るしぐさで、依里に対して友情以外の何か別の感情を感じている様子をリアルに表現している。

 抱えている思いは大きいのに、例えば大声で泣いたりとか、叫んだりとかオーバーな表現ではなく、静かに訴えかけてくるから、より引き込まれたのかもしれない。

 洗面所で自分の髪を切るシーンでは、湊は依里に感じる性的な感情を認めたくない、認めたら普通でなくなってしまう、といった葛藤が描写されていると感じた。

 

◯怪物だーれだ

 この映画の中には様々な「怪物」が出てくる。

 母である早織や保利先生は知らぬうちに、自分の価値観で子供達を傷つけている。言葉のナイフで刺していながらも、自分の中に潜む「怪物」に気付いてない。

 学校側は湊の母親をモンスター(怪物)として、あまりにも雑に対処していく。すべての問題をモンスターの仕業、新米教師の過ちと単純化することで、いじめや子ども達の心のケアといった問題追求を怠っている。

 2人の少年は、自分達の性的嗜好に少しづつ気付き始めていて、ただそれが名付けられるほどはっきり理解できていない。自分達が普通ではない何か、つまり「怪物」だと思い込み、生まれ変わる必要があると思っている。

 

 前半は母親と保利先生の視点で物語が進んでいくため、映画を見ている私たちは完全に母親や保利先生に同情し、湊がいじめをしていたり、狂気的な面があるのではないかと疑わせるようなミスリードに乗ってしまう。

 

後半でやっと子供たちの視点を知り、答え合わせができる。母や保利先生が見ている現実は一部だけで、大人が想像もしていない複雑な出来事が子供たちの間で起きていることが分かる。

そしてハッとさせられる。

この映画を見ている私たちも早織や保利先生のように、想像力が足りていなかったことに、いやでも気づかされることになる。

 

 怪物は誰なのか探しはじめ、保利先生か早苗か、学校かな、いや、湊だったのか!?とさんざんミスリードされた後、「いや、自分にも怪物の側面あるな...」と自分に矢印が向いたときに、この映画の言わんとしていることが染みてくる。

 

〇校長先生(田中裕子)の言葉

 音楽室で湊が初めて自分の気持ちを伝える。「ぼくはさ、あんまりわからないんだけどね。好きな子がいる。人に言えないから嘘ついている。幸せになれないってバレるから。」

 すると校長先生は「そんなのしょうもない。誰かにしか手に入らないものは、幸せって言わない。」「誰でも手に入るものを幸せっていうの。」と湊に伝える。

 「幸せに条件なんかない、誰でも幸せになることができる。あなたも幸せを手にすることができる。」と一番彼らに伝えたかった言葉を校長先生が代弁してくれている。

 この言葉は小学生である湊に対してはかなり難しい気がして、どこまで伝わっているかは定かではないが、少なくともこの映画を見ている私たちに刺さる言葉だった。

 

◯ラストシーンについて

 湊と依里が草むらを笑顔で走っている姿が映し出される。生まれ変わりを望んでいた彼らだが、特に生まれ変わった様子もない。変わっているのは、彼らのいる風景や天気だけ。

 変わらない彼らが自由に走り回る姿を映すことで、彼らがありのままの姿で自由に伸び伸びと生きれる世界になりますように、といった祈りが込められているように感じた。

 変わるべきなのは彼らではなく、私たちであり、この世の中なのではないか。

 

 坂本隆一さんの楽曲と2人の映像が折り重なって本当に感動的なシーンで、自然と涙が溢れ出てきた。後々この楽曲が、坂本龍一さんの最後に手掛けた映画劇伴だったことを知り、さらに感慨深い気持ちになった。このラストシーンはどの映像作品にも勝る伝説的ワンシーンな気がする。

 

〇坂元裕二さんの脚本

 普段是枝監督が演出する作品は、脚本をざっと作り、現場でスタッフの意見を聞きながら作品を完成させるスタイルをとっていたとのこと。しかし、今回の作品は脚本家の坂元裕二さんと3年かけて、ブラッシュアップして、完璧に脚本を作ってから撮影に臨んでいる。

 ブラッシュアップを重ねたことで、登場人物の視点が丁寧に練りあげられているのだと改めて感じた。是枝監督のこれまで培った映画づくりのセンスと坂元さんの脚本力が集結した、ある意味怪物のような作品になっている。

 

 

感想

 性的マイノリティの方の自殺率が高いことは有名な話です。性的な葛藤があることに加え、学校でのいじめや家族の理解が得られないことによる精神的なストレスが大きいためだそうです。性的マイノリティを理解できる年齢を待たずして、性の目覚めはいきなりやってきます。多くの子供たちが小学校高学年までには性的対象を自覚するようです。

 そんな時、近くにいる大人が様々な価値観を子供たちに伝えられる世の中であって欲しい、そのために自分も様々な価値観を身に付けていかないといけないと思いました。

 本作はカンヌ国際映画祭において、クィア・パルム賞を受賞しています。この賞はLGBTやクィアを扱った作品に与えられるもので、日本映画としては初の賞となったようです。

 日本でもこのような性的マイノリティに視点を当てた、評価される作品が今後もたくさん生まれて、多くの方に知ってもらえたらいいなと思いました。