映画『ビッグフィッシュ』考察
※注意
・ネタバレがあります
・完全に個人の意見であり、合っている合っていないに関わらず筆者の考えを綴っています
『ビッグフィッシュとは?』
『ビッグフィッシュ』とは、ティム・バートン監督による2003年公開のファンタジー映画です。
〜あらすじ〜
若い頃から活発で野心家、社交性のある主人公「エドワード・ブルーム」は息子「ウィル」の寝物語として自身の過去の話をします。しかし、その話は荒唐無稽でありファンタジーめいていて、幼い頃は楽しめたウィルも歳を重ねるにつれて父親のホラ話にうんざり。いつも本当の父親を知らないという悩みを抱えてしました。
そんなウィルも大人になり妻「ジョセフィーン」を迎え結婚式を挙げますが、そこでもエドワードはスピーチでホラ話を聞かせます。ついに我慢の限界が来たウィルはエドワードと喧嘩をしてしまいそのまま疎遠に。
時が経ちジョセフィーンが身ごもった頃、エドワードの病状が悪化し余命幾ばくもない状態だと聞かされたウィルはジョセフィーンと共に実家へ帰りました。
死の淵に瀕してもホラ話を辞めないエドワード。本当のことを聞かせて欲しいと懇願しても聞く耳を持ちません。そんな中エドワードが書斎として使っていた小屋の整理をしていると、ホラ話に出てきた電報が見つかったのです。
「すべてが作り話ではないのよ」。母の言葉を受け父親から聞いたホラ話と事実をすり合わせようとする主人公だが……。
作品内ではエドワードが話すファンタジーと現実の世界が入り乱れ、初見では何が何だか分からないと思います。
上記のあらすじとあともう1つ頭に入れておくと良いのが、
ビッグフィッシュ=大ぼら吹き
ということです。
そもそも英語でホラ話のことを「フィッシュストーリー」と言うそうで、釣り人が成果を語る際に事実よりも魚を大きくしてしまうことから来ています。
ネタバレ考察なので先に言ってしまいますが、作中でのファンタジー部分はすべてエドワードの作り話です。しかし、すべてが作り話ではなく、事実にユーモアを肉付けしたような形ですのでその事実部分を考察しながらこの記事を書き進めていこうと思います。
物語の序盤に出てくる巨人「カール」。
彼は話の中で5メートルを超える大男だと語られていましたが、エドワードの葬式に現れたカールの身長は2メートル程度。
参列者よりも明らかに高い身長、歪んだ骨格、彼は「巨人症」患者だったのです。
物語
・町に巨人が出て納屋を破壊し羊を襲って町人を困らせていた
・怒れる民衆を前にエドワードが自分が説得することを宣言
・カールを自分たちにあの町は小さ過ぎると説得し共に都会へ旅立つ
事実
・巨人症という病気が知られておらず、片田舎では偏見の目に晒されていた
・「大きいからお腹が空く」という発言があったのでお腹が空いて実際に食料や羊を盗んでいた?
・カールを自分たちにあの町は小さ過ぎると説得し共に都会へ旅立つ←ここは一緒
偏見を持たず話し合うことを選んだエドワード。カールとの友情は死ぬまで続いたようですね。
カールと旅をする中で迷い込んだのが「スペクター」という理想郷のような街。
空想の街だと思われていましたが、ウィルが倉庫の中でスペクターにある一軒家の証書を見つけたことで実在することが発覚します。
物語
・スペクターはとても綺麗で豊かな街
・住人は皆穏やかで優しいが何故か靴を履いていない(街の入り口には沢山の靴が吊るされていた)
・町長の家でもてなしを受けている時に町長の娘「ジェニファー」に靴を取られる
・夜更けに川辺にいると裸の女性が水浴びをしていたが幻のように消えてしまう。ジェニファーが現れ「あれは魚で見る人によって姿が変わる」と言う
・街に戻るとダンスパーティーが開かれておりウィルも踊るが街を出ることを決意
・残念がる町人に別れを告げて荒れた森の中を進みカールの元に戻る
事実
・スペクターはとても綺麗で豊かな街←ここは一緒
・町人が靴を履いていないのは(街の)外に出る気がないから&恐らくエドワードに好意を持ったジェニファーが実際に靴を盗った。ここの心情と事実を織り交ぜて表したのがあのシーンかなと
・※女性については後で書きます
・ダンスパーティーのシーンではジェニファーの母親が「ジェニファーはあなたを捕まえる気よ」と告げて母親、町長、ジェニファーと手を繋ぎ4人で踊っていましたが、これは家族になろうとしていることを表している?でもエドワードは旅を続けたいからそれを拒絶(輪から外れる)
・森が険しいのはスペクターが本当にいい街で離れがたかったのかな
スペクターは冒頭と終盤で2回出てきます。幻の女性については終盤の方で考察していきます。
エドワードの出生
現実パートに戻り、ベッドを整えに来たジョセフィーンにエドワードは自分の生まれの話をします。
物語
『夢の中でカラスが「おばさんが死ぬ」と言った次の日におばさんが死んだ。次にカラスは「父親が死ぬ」と言って怖くなり父親に話した。父親は次の日を怯えて過ごしたが何もなく、その代わり牛乳の配達員が死んだ』
この話自体はよくあるブラックジョークで素直には笑えない代物。語るエドワードもどこか暗く恐ろしげです。
いつものティム・バートン風なファンタジーとはかけ離れたこの話は、エドワードなりに事実を受け止めようとした結果なのかもしれません。
事実
・母親と牛乳配達員は不倫関係にあった
・エドワードは自分が不義の子であることを知る
・受け入れ難いことだが事実は変わらないと、ジョークに昇華した
エドワードの強さが垣間見えるシーンだと思います。話を聞いている最中のジョセフィーンの表情は彼女の人の良さを表していてとても好きです。
最愛の人との出会い、団長との交流
ジョセフィーンに強請られ最愛の妻であるサンドラとの馴れ初めを話します。
物語
・カールと訪れたサーカスで巨人と称した少し大柄な男が出てくる
・大男よりも遥かに大きいカールを見てサーカスの団長は即契約。元いた大男はサーカスをクビになります。
・そこである女性を見かけ、一目惚れ。彼女を知っているという団長と「1ヶ月タダ働きする事に1つ彼女のことを教える」という契約をする
・身を粉にして働くが教えられるのは細々としたものばかりで名前も住所も分からない。
・団長に直談判しに行くと何故か団長の部屋から狼が出てきて襲いかかる。狼と遊んでやり朝になって狼の正体が団長だと知る。自分を殺さなかったエドワードの心意気に胸を打たれ「サンドラ」という名前と大学を教え、エドワードはサーカスを後にする
事実
最初はほとんど同じでしょう。問題は団長が狼男であると分かるシーンです。
※以下、もう本当にただの想像というか妄想です。
・最初の1ヶ月目にエドワードが団長に話しかけるシーンで団長は弁護士と歩きながら話しています。そこでわざわざ2人の会話を入れている。
→重要な伏線?アマプラだと英語字幕無いので何とか聞き取った部分は「together gowanna be」。本編の日本語訳だと「これからもチームでいよう」ですがもっと親密な意味かも。
・夜に訪ねた時団長のキャンピングカーが不自然なほど揺れている
→性的な行為をしている?
・姿が狼になってエドワードを襲った。
→狼=性加害であり襲われかけたところをパートナーである弁護士が撃とうとした(痴情の縺れ的な)。裸であったのも説明がつく。
・ナレーションで「悪人は善悪の区別が付いていないだけ」と入る
→団長を悪人とせず歩み寄る(遊ぶ)姿勢を見せた?それに感動した団長はずっとこき使うつもりだったけどサンドラのことを教えた
以上、必死に考えた結果です。団長に殺人衝動がある可能性も考えましたが、弁護士との会話をわざわざわざ入れたことや、他のピエロが逃げる中弁護士だけが泣きながら団長を殺そうとしていたのでこの結論に至りました。
再会〜終戦後まで
サンドラに再開し結婚してから徴兵されて家に戻るまではファンタジー要素少なめです。
印象的なのは双子の女性ですね。
・下半身が繋がった双子
→ただの双子だったが物語性を出すためにそう設定した
考察する箇所は少ないですがとてもロマンチックで愛に溢れたお話です。個人的にここが一番の盛り上がりではないかと思っています。
ただし、婚約者のいる女性に言い寄り続けるのは実際にやると法に触れるのでやめましょう。
ジェニファーとの関係
エドワードの書斎を整理していて見つけたのはスペクターにある一軒家の証書。幻かと思っていた街が実在することを知り住所の場所に向かうウィルだったが、そこでジェニファーと出会い彼女から物語を聞く。
物語
・大雨の日に再び街に迷い込んだ
・車が突然水に沈みそこにあの時の女性が泳いで現れ消える
・気がつくと水は引いてただの地上になっており、車は高い木に引っかかって動かせない
・木の近くで故郷を出る時に渡された鍵を見つけ、スペクターが近いことを悟る
・辿り着いたスペクターに昔の名残はなく、荒廃しきっていた
・方々に声を掛けお金を集めて家や店を自分が買収することで街を再興させたが、一軒だけ応じない家があった。訪ねてみるとそこにはすっかり大人になったジェニファーが住んでいた
・心を閉ざしていたジェニファーだがエドワードが根気よく接することで次第に打ち解け、初恋の人に心が揺れ動く
・そういう雰囲気になりキスを迫ったが「妻を愛してる」と断られる。ショックを受けたもののその誠実さに家を売る決心をして証書にサインをした
・ジェニファーはその家に住み続け、やがて魔女と呼ばれるようになった
考察
今回は事実と言うよりも心情描写が多いので考察とします。
・再び現れた女性
→魚の女性とはつまり人魚。人魚というのは船乗りを誘惑し惑わせる代名詞です。かつて幼いジェニファーは「パパには昔飼っていた犬に見えた」と言っていたので、その人にとって魅力的であるという前提は変わらないと思います。
ここで注目して欲しいのが音楽です。初めて女性を見た時、2度目に女性を見たとき、成長したジェニファーが弾いているピアノの曲、すべて同じなんです。
つまり、女性=ジェニファーであり、エドワードにとって魅惑的な女性であるとの比喩なのではないでしょうか。そしてジェニファーを演じるのはお馴染みのヘレナ・ボナム=カーター。彼女をモデルとした己の生き方の指針を定めてくれた魔女が出てくること、彼の物語を語るのは作中では本人、ウィル、そしてジェニファーしか居ないことからも特別な存在であることが伺えます。
余談ですがこの曲はダニー・エルフマンという作曲家が手がけており、この方はティム・バートン監督作品のほとんどの音楽を担当しています。
この後の作品である「ティム・バートンのコープスブライド」でも似たような曲が出てきていて、流れるシーンには共通点がありますので是非こちらもご覧下さい。
エドワードの最期
エドワードは幼い頃に魔女の左眼を覗いたことで自身の死に方を知っていると語ってきました。病状が悪化して駆け付けたウィルにも「死に方はこうじゃない」と言っています。
物語
・幼い頃に魔女の左眼を覗き死に方を知った
・病気が悪化した時もこの死に方ではないと分かっていた
・いよいよ発作を起こし倒れた時、ウィルに自分の死に方の話をするように強請り、場所はこの病院であると伝える
・元気になったエドワードはウィルと病院を抜け出し川へ向かい、川岸には今まで出会った人全員が集まってエドワードを見送ってくれた
・川の中ではサンドラが待っていて結婚指輪を咥えて外し彼女に渡し、息子の手で川に沈めてもらうとたちまち「ビッグフィッシュ」になって川に帰って行った
事実
・よく死が近い人は己の死期が分かると言うので、病気が悪化した時はまだ余裕があり息子を不安にさせないため「死に方が違う」と言った。あくまで違うだけであり、死なないとは言わない
・発作を起こして倒れたときに己の死を悟り、場所はここであると伝える
・ウィルが語る物語はエドワードの作り話そのもの。途中で出てきた「教会の人間は運転が遅いから教会を避ける」というエッジの効いた冗談もそっくりです
・川岸に着いたエドワードは今度は自分から靴を脱ぎます。つまり、もう外には行かない。留まる事を意味しており、また魚に足は無いので靴は必要ありません
・自分が何千回と語ってきたビッグフィッシュの話の通り、指輪を口から出してサンドラに渡しました。こういった細かいところまで寄せれるのはウィルがそれほどまでにエドワードの話を聞いてきたからからだと思います
・そうしてエドワードは「ビッグフィッシュ」という物語になってしまった
物語をウィルが語ったのはエドワードを受け入れたということではないでしょうか。そして、エドワードの葬式には物語の登場人物が参列していました。きっと彼らから色んな話を聞くのでしょう。
葬式でサンドラが赤いジャケットを着ていたのが気になりましたが、いくら見返しても赤がキーポイントになるシーンは見つけられず、車も赤かったことから「エドワードが赤が好きなのかな」という短絡的な考えに至りました……。
まとめ
この映画は、テーマとしては普遍的な親子の確執を描いています。しかしその中で人生を己の力で切り開きながら、それでも起こる悲しいこと、辛いこと、受け入れ難い事を、どう受け入れ昇華できるかということを訴え掛けているように感じました。
不幸と感じれば不幸であり、幸せと感じれば幸せである。エドワードはきっと辛いこと、苦しいことを沢山体験してきたのだと思います。それでも嘆くことなく愉快な物語として落とし込み、周囲の人を明るくしてきました。息子にもそのように生きて欲しかったのではないでしょうか。
基本的に好きな映画は何度も見るタイプですが、この映画は2回は見ることをお勧めします。1回目はティム・バートン監督特有の不思議な世界を楽しみ、2回目はその世界に隠された事実を考えてみる。2通りの楽しみ方が出来る作品です。
皆さんの考え、取り上げなかったシーンの考察などコメントで教えて頂けると嬉しいです。
最後までお付き合いいたただきありがとうございました。
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