仕事が終わり地元の電車に乗る。
まばらな乗客。紫のシートに腰を下ろす。
今の生活で一番心が休まる時間だ。
深海にたたずみ息を潜める貝のように
シートに体を預けた。
前には数人の女性が座っている。
誰もが沼地で小休憩をしている兵士のように
シートに深く体を預けている。
僕は前の女性に何故か興味を引かれた。
誰もが振り向いてしまうような美人ではない。
素朴で笑顔を見れれば魅力的だと思う男も
多いだろう。僕もそうだ。
しかし惹かれた理由はハナだった。
そこに彼女の面影を感じた。
彼女を愛していたか分からない。
皆と同じように僕も彼女と
流れの中で付き合うようになり、そこには契約も
使命感も、焦燥も無かった。
焦燥を持つ関係が夏の長靴のように存在しないことには薄々気が付いていた。
彼女のハナを僕は好きではなかった。
僕の好みに対していささか低いハナだった。
そんなハナを目の前に座る名も知らぬ女性に感じた。
そしてそれが愛おしかった。
とても愛おしく感じた。
人を愛することが出来ないと思っていたが
彼女の面影になぜか人を愛せる確信を
見つけた。
深く潜り海底に手を伸ばし砂を掴むが
いつも砂は手からこぼれ落ちていた。
しかし今は砂を掴むことができる。
真っ暗だと思っていた海底が深く美しい蒼であることにも気ずくことができた。
電車は駅に着き、彼女は降りていった。
秋の夜の冷えた風が車内に入り込んだ。
たぶんもう彼女には2度と会えることはないだろう。
それでも僕は彼女をまた思い出すだろう。