元旦を殺した日本と、ニュピを残したバリ島 | ロングテールの先っぽで

元旦を殺した日本と、ニュピを残したバリ島

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僕が中学生の頃、今から15年ほど前、
日本の元旦はしんとしていた。
しんとしていた気がする。

大通りのお店はすべてシャッターを閉め
通りを走る車もほとんど無かった。
街がいつもの街ではないそんな非日常的な風景に
少年だった僕は、ちょっとワクワクし、
「お~今日は元旦だぜ~」なんて
1年に1回しか来ないその日を味わっていた。

年々、元旦は元旦ぽくなっている気がする。
それは僕の年齢のせいもあるだろうけど、
やっぱり元旦が元旦ぽくなくなっているような気がする。


バリ島にはニュピという、
日本で言う元旦のようなものがある。

その日は、バリ島全体で

・火や電気を使わない
・外出しない
・仕事をしない
・食事をしない

ことになっている。

バリ島に行った事がある人もいるだろうが、
バリ島は言わずと知れた世界的な観光地である。

でもこの日はなんとバリ島への入国、バリ島からの出国もできない。
空港すら開いていないのだ。
※バリ島に出ないトランジットのみ利用可能だった気がする。

外国人ですら一切、外出はできないし、電気も付けられない。
道には警官がいて、外出をしていないかをチェックしている。
「できる範囲でー」なんていう生易しいレベルの実施ではなく、徹底している。
本当に電気や火が使えないし、外出もできないのだ。

バリ島に住む私の両親のような外国人は
自宅ではさすがに何もできないので
外国人向けにひっそりと営業しているホテルに逃げ込んだりする。
※もちろん逃げ込んだホテルでも、最低限のことしかできない。

僕が不思議なのは、
世界的な観光地で、観光収入を多く得ているこの島が
ニュピを残す事を選択している事だ。


日本の元旦はきっとこういう日だったのだと思う。
全ての用意を大晦日までに済ませ、
保存食であるおせち料理で三が日を乗り切る。


今、日本の元旦は華やかで便利だ。
コンビニは開いてるし、初売りは正月の新たな顔になっている。
僕はコンビニのお菓子が好きだし、
電気屋の初売りはチラシを眺めるだけで楽しい。


でも、この楽しいお正月と引き換えに
僕らは何かを失ったような気がしてならない。


バリ島ではヤシの木より高い建造物を造ってはいけないことになっている。
だからバリ島の風景はとても美しい。

日本では、後戻りのように受け取れる選択肢を選ぶ事は
とても勇気がいる事だ。

でもバリ島のような世界的な観光地で
そういう選択肢を残す事ができていることは
少しうらやましい気がする。

ちなみに、何のためにニュピがあるのか検索してみたら
こんな風に書かれていた。
心の火を消し、欲望や願いで熱くなりすぎている心を冷却し、
日々の暮らしにバランスを取り戻すための日なのだ。
via:ニュピについて


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