妄想から抗ガン剤の現実へ

妻の入院は約40日間に及んだ
その間4歳の長男を実家の弟家族に預け
1歳3ヶ月の娘は妻の実家に預けた

我が輩は病院とそれらをめまぐるしく行き来した

最初に息子が根を上げた、2週間がたった頃だ
寂しさで一人毎晩布団の中で泣いていたそうだ

だから兄弟が一緒にいれば寂しさが紛れるだろうと
妻の実家に預ける事にした

娘は、預けられたと言うより置いてきぼりを食らったと思ったらしい
入院以来妻の母、祖母から離れなくなり
祖母の姿が見えなくなると泣き、駄々をこねるようになった


二人の子供には寂しく悲しい思いをさせた



一方妻は、切除後徐々に体力を失っていった
それは、心の体力も奪っていた


もちろん末期癌ではなかったがなかなか希望を見いだせないでいた

彼女を支えたのは、唯一子供たちの元へ早く戻ろうという

ただそれだけだったと思う、母としての思い

それが彼女の気力になり勇気になっていたと思う


夫というのは得てして無力なモノだ


彼女をむしばんだ癌は、リンパ節のポリープにも発見され
又俗に飛びやすい、つまり転移しやすいタイプの癌と言われた
担当医いわく100人に一人いるかいないかの珍しいタイプだそうだ
このため入院後半から抗ガン剤治療に入った

おおざっぱに言うと術後の乳癌治療には3通りある
放射線、抗ガン剤、ホルモン治療だ
その中で抗ガン剤治療がもっとも副作用がある
それでいて効果は、つまり薬の効く人は30%あまりと

非効率的な治療法でしかない
しかし薬が効く事を祈ってスタンダードな抗ガン剤を選択した


ガン細胞というのは実話全ての人が持っている細胞だ

つまり、我が輩も貴方の体内にも存在している

毎日何千と生み出され、何千と体内で撃退されている
だから通常は健康でいられるのだが
弱いところにこっそり隠れ、何かの拍子に体のバランスが崩れると
その勢力を増し繁殖、発病するのだ
そう、いつ自分が発症してもおかしくないのだ

薬は、効けば効用効かなければ副作用が体を蝕む

我が輩は毎週のように540キロを往復し妻の元へ

担当医と相談し新年から地元で抗ガン剤治療を受けられるよう

手配してもらった

そしてそんな日々を過ごしどうにか年内退院をと
年の瀬迫る12月30日退院
妻はやっと子供たちの元へ戻る事が出来た

またまた長くなっちゃて、更に引きずります<(_ _)>