意味への欲求

意味への欲求

こころのつぶやき。

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 何かのためになる事とか 

 誰かの役になる事とか

 やりがいとか

 頑張るとか 

 我慢するとか

 努力するとか

 

 力を入れて生きるのをやめよう

 今、ここにいる私がわたしなのだから

 ありのまま そのまま いい顔しない

 ごまかさない 

 

 もう

 過大評価の自分でなくていい

 だめだめの自分でいい

 そのままで

 自由なわたしでいい

 何も考えなくていい

 何も不安にならなくていい

 何にも縛られなくていい

 

 

 

満75歳から死を選べる世界

 

PLAN75と掲げたポスターが役所に貼られていて普通に申込める。

外に受付の出張所がでていたりコマーシャルが流れていたり。

 

本当に未来に実現する制度になりうるのか。

最初は反対があってもそのうち当たり前のように

この制度を受け入れていく未来が来るのではないかとも思えてくる。

 

何をもってPLAN75を使用しようと決心するのか?

本当はもっと生きていたくてもお金がないが一番なのだろうか…

思うように体が動かなくなり生きていくのがつらくなるのか…

 

家族との別れ…

孤立…

 

理由はどれも年をとることによるデメリットでしかない。

 

死ぬ時がわかっていればお金のことも心に引っかかっていることも解決してすっきり

死を受け入れることができると思うのは私だけか。

 

いつまで生きるかわからない方がよっぽど不安だ。

 

自分の意志で決めれればいいけどお金のことでやむなき理由の場合が大半だと思うと

やはりこんな制度は作ってはいけないのだろう。

生きる方に税金を投入していくべきなのだろう。

 

主人公のミチは一度は受け入れ死のうとするが目を覚ましてしまい

逃げ出す。

夕日を見ながらミチは生きていくことを選択した という終わり。

生きているものの本能。行きたいという生物としての本能。

 

ラストは救われる終わり方だったと思う。

命ある限り自然にその時を迎えるまで

 

生まれるときは選べないのだから死ぬときは選べてもいいのでは と私は映画を観た後も

考え方は変わらないけど。