突然、目にした訃報。

しかも四月に亡くなっていたなんて。

 

台本表紙

 

 

一番最初の『古畑任三郎』の制作時にお会いしたのが1994年のことだから、今から28年前のことになるのかな。

ご一緒させていただいたのは五本と少なく、長い助監督生活の中からすると本当に短い期間だったけれど、正和さんとの貴重な時間は昨日のことのように思い出すことが出来る。

 

中でも一番印象深いのがラストの謎解きで正和さんがNGを出した時のことかな。

もちろん完璧な正和さんのこと、NGの理由は台詞ではない。

謎解きの最中に使用したペンがちゃんと書けることを証明するために掌にペンで丸を書くという芝居があったのだけれど、それが書けずにNGとなった。

 

一度カメラを止めて正和さんの所に確認に行きペンをチェック。

ちゃんと使えた。

「こんな状態だから。」

と、掌を見せてくれた正和さん。

その掌はグッチョリと濡れていた。

もちろん正和さんは運動をしていたわけではない。

ラストの解決シーンの長台詞に備えていただけである。

 

あの田村正和も緊張するんだ。

表面はいつもの格好いい、クールな正和さんでも、芝居で緊張するんだ。

そして、汗をかいた掌を見せたことに気が付いた正和さんは恥ずかしそうにしていたっけ。

 

 

まあ、掌の汗を拭い、その後の撮影は順調にすすんだけれど、この話はこれで終わらない。

後日、一度だけこの話を正和さんを含む人前で話したことがある。

 

自分が担当していない回のセットに午後から遊びに行った時のこと(時代劇設定の撮影のため土間のスタジオが必要で日活スタジオで撮影していた)

セットの入り口で正和さんに呼び止められた。

(正和さんは控室に戻らないでセットの一画で直しの間はいつもスタンバっている)

 

そこで『古畑任三郎について話せ』みたいなことを正和さんに唐突に言われたのだ。

自分は掌に書けなかったペンの話をした。

なんでこんなことを言わされているのかも判らず、調子に乗ってベラベラ喋り、正和さんは苦笑を浮かべて黙って聴いていてくれた。

 

何故こんなことを喋らせたのかという疑問は直ぐに判った。

数日前、番宣のクルーが撮影に来て『撮影に関すること』『正和さんに関すること』を古畑のスタッフが語っていたのだ。

正和さんは番宣で語ることは一切しない人だったので、メークさんとか他のスタッフに語らせていたのだという。

 

自分が田村正和について語った時、撮影カメラは回っていなかったし、取材クルーの姿もなかった。

だけど、滅茶苦茶嬉しかった。

もしかして、正和さんに認められてる?

 

正和さんは自分の作品を愛する人。

その正和さんが作品について語れとおっしゃることはどういうことか?

と同時にスタッフへ対する愛も感じた。

 

 

残念なことに古畑任三郎に携わったのは、バート1のみ。

その後の古畑任三郎を含め正和さんと仕事をすることなく終わってしまった。

いつの日か、正和さんに『ありがとうございました』と言える日も来ることなく、恥ずかしそうにする正和さんの顔を見ることもなく。

 

ご冥福をお祈りいたします。