私のブログ遍歴は、せいぜいネトゲ関係のブログを書いていたくらい。
もっとも攻略情報とかじゃなくて、play日記愚痴日記という程度のものだったけれど。
いやそもそもブログって何のために書いているんだろうね。
個人が情報を発信できるようになって久しいのだけれど
webページ、ブログ、今はtwitterか?
最初は面白そうだ、っておもってごちゃごちゃ書くんだけど
多分たいていの人はひとつのことに気づく。
個人が発信する情報なんて、結局たいしたものじゃない
という真理に。
いや、別にいいですよ。
あなたが昨日何をしたか、どんなことがすきで、何を考えているか を書く。
うんいいじゃないですか。
でもそれが不特定の人間にとって、価値ある情報となるか
というと、もちろんなるわけがないですよね。
自分がすごく特別で、素敵で、愉快で、魅力的な毎日を送っていた(送っていると思っている)としても
それが「誰かに」とってそう思えるものでなければ
その情報発信が意味を持たない、というわけなんですよね。
そこで、僕らは(僕の世代の人間達は)
「幸福感なんて多様だ!自分が幸福と思える事をしよう!」
なんていう個人主義の時代に生きてきたわけで、だからこそこう思ったりいったりしてる。
情報発信は誰かにとって意味があるとか、ないとかではなくて
自分がしたいかどうかなんだ! ってね
いや全くその通り、ごもっとも、返す言葉もございません。でも・・むなしいよ?
「いや別に誰かに見せる気は無いし」
「自己満足の為に書いているんだよ」
そして個人主義が空虚に崩壊してしまったように(まだそこにしがみついている人もいるみたいだけれど)
そういう個人の満足度、というのが行為の強い動機にはなりえないわけですね。
それを公になる場で公開する意味って何だろう、ということになるよね。どうしても。
最近どっかのニュースかなにかでみたけれど
ブログやtwitterをはじめた5割だったかな (もう少し多かった気もする)
ぐらいの人は、途中で放置してしまうんだって。
雑談は確かに楽しいこともあるけれど、それを始終しろ、といわれても結構厳しい
というのににているのかな。
それで結局まあ、情報を発信しつづける人は3種類に分けられると私は思うのです。
①情報が特殊である
②情報の発信の仕方が特殊である
③自分の発信している情報の無意味さに気づいていない
①は特殊な環境にある人、有名人とかだよね
②は文章が面白い、とかだね
③は、まあいいか
で、じゃあ自分はどのスタンスなのよ、という話になるよね。
間違いなく情報は特殊だと思うんだけど、「無意味で」
決して文章が面白いわけでもない。
情報の無意味さに気づいているけれど、でも書き続けている、と。
救いがないじゃん(笑
(笑 ってあまりすきじゃないんだけれど w よりはましだし、
なかば残念!(古 いよね? ってかんじのニュアンスだからいいよね)
まあ、(というのは私の口癖だけれど)人生には無意味なことも数多く存在してるわけで
その中に無意味なことがもう一つくらい付け加えられても別にいいじゃん
と開きなってみたら、あら不思議
話が見事に落ち・・・てないよね
