久しぶりに実家付近に行ってみた。いつぶりかな~?震災直後はダメージでかすぎて、ここ通るのも嫌だったけど、今はそうでもないかな…
↑実家があった場所です。本当に何もないですね!あの日、自分はまさにここにいました!一歩間違ってたらと思うと……今でも恐ろしいです。
↑ここも住宅地だったんですよ!高田の中でもここは本当に何もなくなった町です。残った家は2件くらいだったかな?
↑ここは震災の日に一晩過ごした場所。ブレててすみません(笑)ここに来たのも偶然でした。ここから波が堤防を超えるのを見て、急いで下にいる人たちを助けようとしたが、俺が降りた時にはもう避難所の公民館は流され、波がどんどん高台に近づいていた。
とりあえず、上がってくる人だけでも助けたが、恐怖に怯え、お年寄りは硬直状態になり、動けない状況で、背負って上に行った。波はどんどん追いかけてくる。俺も正直怖かった。みんなを上げている途中に母親がいないことに気付いた。流された公民館までは一緒に来ていたのに……でも、そのときは今近くにいる人たちを高台に上げることに専念した。(母親は別の場所に避難していて、数時間後に会えました)
夜は残ったメンバーでたき火を囲んで寒い寒い夜を過ごしました。となりでは体育館が爆発しながら炎上していた。ラジオからは「陸前高田は浸水の被害…」と聞こえて来た。いやいや……浸水って!街ないよ!!と思いながら聞いてたな~。「気仙沼は火の海」って報道もあって、本当に信じられなかった。
↑一晩過ごした神社から見た景色。今はもちろん綺麗さっぱりになっているが、あの当時はめちゃくちゃでした。「何かの悪い夢」そう信じたかったけど、夜が明けて、ここからの景色を見た時は絶望以外の何ものでもなかった。
ここから津波の様子も見ました。泣き叫ぶ人、崩れ落ちる人、今でも昨日のことのようにはっきり覚えている。「悪夢だ」「やめてくれー」という声が忘れられません。俺は夢か現実か分からなくて、ただただ見てることしかできなかった。
「死ぬ怖さ」を初めて知った。そして「絶対に生きたい」と強く思ったのも初めてだった。
それからは避難所生活をしながら、支援物資の仕分けのボランティアをひたすらしていた。自転車で往復2時間半!!あの当時、道路にも瓦礫の山があったので、命がけでボランティアに行った(笑)
↑母校の中学校です!ここの生徒が1人の犠牲者も出ずに避難できたのは、本当に素晴らしい!!海の隣にあるんです。先生方の的確な判断で、避難場所に指定されているところよりも、さらに高いところへ行ったらしい。先生も「生徒と一緒にいなかったら自分はどうなっていたか分からない」と言っていた。
↑最後に有名な希望の一本松です!
今、震災の話題が報道でどれくらいされているのか分からない。被災地以外では報道されなくなったからもう大丈夫なのかな?って思うかもしれない。でも、そうじゃない。大変なのはまだまだこれから。子どもたちだって、本当にやりきれない悲しさ、寂しさを抱えながら生活している。学校では楽しそうに笑ってるけど、本当はどうしようもなくツラい。それを必死に抑えている。
大人だって、大切な人たちをなくした人が自ら命を絶つということも少なくない。震災はまだまだ終わっていない。今回の震災に限らず、以前の阪神淡路大震災や、新潟の地震だって同じだと思う。台風や竜巻で被害を受けた地域だって……。
俺も正直、あの日を思い出してどうしようもなくなることがある。地震直後に会った近所の人たちを助けられなかった。災害に対する自分の意識の甘さをすごく悔やんでいる。
今回はどこの避難所に逃げたかによっても運命が分かれた。避難所として指定されているところに行き、安心してしまって、津波に飲み込まれてしまった人が本当に多い。
自然災害はどう頑張っても食い止めることはできない。だからなんぼでも被害を抑えるために、自分自身を守ること。そして、起きた後には助け合って復興すること、これしか俺たちにはできないと思う。
今回の震災で世界中の人たちから支援を頂いた。だから、俺たちももらってばかりではなく、与える側になっていかないと。
冬に中学校の同窓会を計画している。その同級生の中にも犠牲者が出てしまった。今まで集まってもみんなその話題を避けていた。でも、どっかできちんと心の整理をしなくちゃいけない。今度の同窓会はそういう大切な場にもしたいと思う。
被災地に住んでいる以上、このブログではたまに震災に触れることがあると思う。この災害を風化させてはいけないと思うし、自分の心の整理のためにも!
今でも、いろんなところから陸前高田に来ている人はたくさんいる。これを読んでいる人たちにもぜひ一度見に来てほしいと思う。陸前高田じゃなくてもいいけど(笑)「被災地に行くのは…」と抵抗はあるかもしれないし、元の街を知らないとどれくらいの被害なのか分かりづらいと思うけど、やっぱり初めて来た人もかなり衝撃を受けるらしい。写真や映像とは全く違うから。
宿泊場所がないので、ぜひうちに寄ってって下さい^^2人くらいは泊められると思います!笑
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
↑実家があった場所です。本当に何もないですね!あの日、自分はまさにここにいました!一歩間違ってたらと思うと……今でも恐ろしいです。
↑ここも住宅地だったんですよ!高田の中でもここは本当に何もなくなった町です。残った家は2件くらいだったかな?
↑ここは震災の日に一晩過ごした場所。ブレててすみません(笑)ここに来たのも偶然でした。ここから波が堤防を超えるのを見て、急いで下にいる人たちを助けようとしたが、俺が降りた時にはもう避難所の公民館は流され、波がどんどん高台に近づいていた。
とりあえず、上がってくる人だけでも助けたが、恐怖に怯え、お年寄りは硬直状態になり、動けない状況で、背負って上に行った。波はどんどん追いかけてくる。俺も正直怖かった。みんなを上げている途中に母親がいないことに気付いた。流された公民館までは一緒に来ていたのに……でも、そのときは今近くにいる人たちを高台に上げることに専念した。(母親は別の場所に避難していて、数時間後に会えました)
夜は残ったメンバーでたき火を囲んで寒い寒い夜を過ごしました。となりでは体育館が爆発しながら炎上していた。ラジオからは「陸前高田は浸水の被害…」と聞こえて来た。いやいや……浸水って!街ないよ!!と思いながら聞いてたな~。「気仙沼は火の海」って報道もあって、本当に信じられなかった。
↑一晩過ごした神社から見た景色。今はもちろん綺麗さっぱりになっているが、あの当時はめちゃくちゃでした。「何かの悪い夢」そう信じたかったけど、夜が明けて、ここからの景色を見た時は絶望以外の何ものでもなかった。
ここから津波の様子も見ました。泣き叫ぶ人、崩れ落ちる人、今でも昨日のことのようにはっきり覚えている。「悪夢だ」「やめてくれー」という声が忘れられません。俺は夢か現実か分からなくて、ただただ見てることしかできなかった。
「死ぬ怖さ」を初めて知った。そして「絶対に生きたい」と強く思ったのも初めてだった。
それからは避難所生活をしながら、支援物資の仕分けのボランティアをひたすらしていた。自転車で往復2時間半!!あの当時、道路にも瓦礫の山があったので、命がけでボランティアに行った(笑)
↑母校の中学校です!ここの生徒が1人の犠牲者も出ずに避難できたのは、本当に素晴らしい!!海の隣にあるんです。先生方の的確な判断で、避難場所に指定されているところよりも、さらに高いところへ行ったらしい。先生も「生徒と一緒にいなかったら自分はどうなっていたか分からない」と言っていた。
↑最後に有名な希望の一本松です!
今、震災の話題が報道でどれくらいされているのか分からない。被災地以外では報道されなくなったからもう大丈夫なのかな?って思うかもしれない。でも、そうじゃない。大変なのはまだまだこれから。子どもたちだって、本当にやりきれない悲しさ、寂しさを抱えながら生活している。学校では楽しそうに笑ってるけど、本当はどうしようもなくツラい。それを必死に抑えている。
大人だって、大切な人たちをなくした人が自ら命を絶つということも少なくない。震災はまだまだ終わっていない。今回の震災に限らず、以前の阪神淡路大震災や、新潟の地震だって同じだと思う。台風や竜巻で被害を受けた地域だって……。
俺も正直、あの日を思い出してどうしようもなくなることがある。地震直後に会った近所の人たちを助けられなかった。災害に対する自分の意識の甘さをすごく悔やんでいる。
今回はどこの避難所に逃げたかによっても運命が分かれた。避難所として指定されているところに行き、安心してしまって、津波に飲み込まれてしまった人が本当に多い。
自然災害はどう頑張っても食い止めることはできない。だからなんぼでも被害を抑えるために、自分自身を守ること。そして、起きた後には助け合って復興すること、これしか俺たちにはできないと思う。
今回の震災で世界中の人たちから支援を頂いた。だから、俺たちももらってばかりではなく、与える側になっていかないと。
冬に中学校の同窓会を計画している。その同級生の中にも犠牲者が出てしまった。今まで集まってもみんなその話題を避けていた。でも、どっかできちんと心の整理をしなくちゃいけない。今度の同窓会はそういう大切な場にもしたいと思う。
被災地に住んでいる以上、このブログではたまに震災に触れることがあると思う。この災害を風化させてはいけないと思うし、自分の心の整理のためにも!
今でも、いろんなところから陸前高田に来ている人はたくさんいる。これを読んでいる人たちにもぜひ一度見に来てほしいと思う。陸前高田じゃなくてもいいけど(笑)「被災地に行くのは…」と抵抗はあるかもしれないし、元の街を知らないとどれくらいの被害なのか分かりづらいと思うけど、やっぱり初めて来た人もかなり衝撃を受けるらしい。写真や映像とは全く違うから。
宿泊場所がないので、ぜひうちに寄ってって下さい^^2人くらいは泊められると思います!笑
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!