隣のお店へ勤務するK.Hさんから”実家より新茶が届いたので、おすそ分け!”と新茶を頂いた。

 

 何を隠そう私の母は。宇治の木幡の出身で、母方の祖母タケさんは茶摘みを生業にしていた 。祖父は大工なんだが、お酒が好きで仕事は上手なんだが、最後は酒におぼれたとか。そのタケさんだが、さすが茶どころの人で、自分の娘私の母に”お茶は入れる人の気持ちが出る”とよく言っていた。

 

 年上のお友達。松井のおじいちゃん。私たちの結婚式にも出席願った。暇があるとお店の外より 相手になっていた。お仕事は袋物屋さん。財布・鞄・ズボンのジッパー と、制作は勿論修繕まで、当時はこの様なスーパーマンが 存在していた。
  ある時”元、茶を飲むか!”と誘ってくれた。たまたま時間に余裕があったのか、のこのこと上がりこんでしまった。お茶は”玉露”。東野英治郎  に似た風貌で体は枯れた感じの小さい人だったが、湯冷まし、そして蒸らし 、そして出されたお茶はお酒のさかづきの様な器にほんの少し。
  いまだに忘れられないのはその時の”茶の味”なんだ。物の味は五味で表されるとか。茶の味もそれに通じるのか 。

 

  明治の自然主義作家の田山花袋に次のような新茶の事を記した文章がある。
 
 新茶のかおり、これも初夏の感じを深くさせるものの一つだ。雨が庭の若葉に降濺ぐ日に、一つまみの新茶を得て、友と初夏の感じを味ったこともあった。若い妻と裏にあった茶の新芽を摘んで、急こしらえの火爐を拵えて、長火鉢で、終日かかって、団子の多い手製の新茶をつくって飲んだこともあった。田舎の茶畠に、笠を被った田舎娘の白い顔や雨に濡れた茶の芽を貫目にかけて筵にあける男の顔や、火爐に凭りかかって、終日好い声で歌をうたう茶師のさまなどが切々に思い出されて来る。母親は其頃茶摘に行っては、よく帰りに淡竹の筍を沢山採って来た

   さてKさんの新茶を頂くお茶うけは、やはり稲荷祭りのお供物、直来の羊羹だろう。