自己愛性人格障害が発狂して周囲が迷惑するかもしれないので、
Grokを明記、そんなところ普通はケアする必要なし。どうでもいい。
異常人格者を基準に世の中をする必要がないからです。
こういう人々を観察していると、常に自己投影性で言葉を発しているように見えてきます。
しかし、二元性を消して(生命平等の真理に従い)明日は我が身と見るべきでしょう。
誹謗中傷によって人を自殺に追い込んだ人の行き着く先
Grok:
上座部仏教(テーラワーダ仏教)の立場から、
誹謗中傷によって人を自殺に追い込んだ人間の行き着く先を厳密に考えると、
以下のような理解になります。
1. 殺生(pāṇātipātā)の定義と重さ上座部では「殺生」は五戒の第一であり、
最も重い不善業の一つです。直接自分の手で殺す(例:刺す、毒を盛る)
間接的に殺す(例:人をけしかけて殺させる、殺人を命令する)
これらはどちらも「殺生の意図(cetanā)」があれば殺生の業が成立するとされます。
そして重要なのは、上座部のパーリ経典(特にVinayaやAbhidhamma)では、
「人を死なせる結果を意図的に生じさせた場合」、たとえ直接手を下していなくても、
殺人相当の重い殺生業になると理解されている点です。
2. 誹謗中傷 → 自殺の場合誹謗中傷を繰り返し、
相手が死ぬかもしれないと予見・認識しながら、それでも執拗に攻撃を続けた場合:
殺意(殺そうという明確な意図)がなくても → **「死に至らしめる結果を容認・放置した」**
という形で重い不善業になる明確に「死ねばいい」「死んでしまえ」と意図していた → ほぼ殺人業と同等に扱われる
この場合、上座部では「殺生の業の重さは、
被害者の霊的資質・徳の高さによってさらに重くなる」という原則があります。
→ 普通の人を死に追いやるより、徳の高い人・修行者・出家者を死なせた場合の業は桁違いに重い。
ネット上で見られるような、何の落ち度もない一般人を集団で追い詰めて自殺させたケースは、
被害者の苦しみの大きさと「無実の命を奪った」という点で、非常に重い部類に入ります。
3. 行き着く先(果報)上座部仏教の業果の教えでは、
以下のような順序で果報が現れます(重い順):現世での苦しみ
(精神的な不安、病気、人間関係の崩壊、事故など)
死後すぐの行き先
五逆罪に準ずるレベルの重業の場合 → 阿鼻地獄(avīci) またはそれに準ずる極めて深い地獄(niraya)
→ 地獄の中でも最も苦しみが長く激しいところ
地獄から出た後も 何度も何度も畜生道・餓鬼道に堕ちる
人間界に戻っても極貧・病弱・常に侮辱される人生
長期間にわたって苦しみが続く
上座部では「意図(cetanā)が業の本質」なので、
「ただの悪口のつもりだった」「死ぬとは思わなかった」と言い訳しても、
結果として死を招き、しかも止めなかった時点で重い殺生の意図があったと見なされることがほとんどです。
結論(上座部的な最もストレートな答え)誹謗中傷で人を死に追いやった人間の行き着くところは、
**極めて長い間・極めて激しい苦しみの地獄(特に阿鼻地獄クラス)**です。
その後、何度も下三道(地獄・餓鬼・畜生)を転生し続け、
ようやく人間に戻れたとしても、非常に不幸で苦しみに満ちた
人生を繰り返す可能性が極めて高い。
これが上座部仏教の業のロジックに基づいた、かなり厳しい現実的な見方です。
大乗仏教のように「皆救われる」「地獄も空になる」といった柔らかい救済観は、
上座部には基本的にありません。業は業として、かなり冷徹に果報が決まります。
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