最近すっかりインスタの手軽さにハマってしまい
ブログはご無沙汰していました。
ブログに書くこと、インスタに載せることどう分けていったらいいのか只今模索中…です
さて、今日、久しぶりの投稿をしようと思ったのは、ホントに久しぶりに「優しさを知らない人」に出会ってしまったから…です
私が思う「優しさを知らない人」とは「優しくない人」ではなくたぶん人から優しくされたことがない人。あるいは人の本当の温かさや優しさに気づかずに生きてきてしまった人です。
今日の記事は、
本来、私たちが受ける必要の無い傷や悲しみを書いています。
これからそれが一つでも少なくなるように
たくさんの人に知ってほしい事実です。
でも、これまでに同じように傷ついてきた人は読むと苦しくなるかもしれません。
そういう方はどうぞ無理に読まないでくださいね。
覚悟が決まったら、どうぞ
本当はたくさんの人に読んでほしい!!
先週息子たちとバスに乗った時のことです。
たからが「ン、ン、ン、ン、ン~~~」と声を出しながらバスに乗り込むと先に座席に座っていた女性があからさまにたからをにらみつけ手に持っていた、たからの宝物を払いのけようとしたり(別にその人に当たったわけではなかったのに…)
もう迷惑そうな態度…
目の前に立たないように避難しました
この時点で
「ああ、早く降りたい…」
心折れそうになります
そんな風に思っていた矢先
今度は一番後部座席に一人座ってご機嫌におしゃべり(ひとりごと)をしていたそらに向かって
「うるせー」「おりろ」
と怒鳴りつけるおじさんの声
私はバスの真ん中あたりでたからと一緒に立っていたのでそらの方に行くとめちゃくちゃ恐ろしい形相でそらに怒鳴りつけてるおじさんがいました。
「すみません」と謝って「静かにしようね」とそらに声をかけているのに
「うるせーからおりろ」とさらにまくし立てられました
私 「降りたら帰れなくなるので」
おじさん 「タクシーで帰ればいいだろ」
私 「そんなお金ないですよ」
おじさん 「補助があんだろ、知ってるんだぞ」
何言っても無駄な様子。
そんな話をしているときに
ヒーロー現る
「バスはいろんな人がいるのが当たり前で
そんなにいやなら自分がタクシーに乗ればいいんじゃないですか」
と言ってくれた
するとおじさんは
「おお、そうか。」と
それからは黙ってくれたました。第3者の言葉ってすごいよね。当事者の声には一切耳を貸さないのに。(でも、この時、父親だったら違ってたのかなとも思ったり。)
おじさん黙ったけれど、乗ってる間ずっと私をにらんでいたな…
たぶんそらと年が近い青年でした。
おじさんとは親子くらい年の離れた青年じゃないかと思います。
周りにたくさんの大人がいる中でたった一人声を上げてくれた人。
どれほど心強かったことか。
今まで、おじさんみたいな人には時々出会ってきたけれど
ヒーローが現れたのは初めてでした。
辛い体験を受けやすい反面、私たちはこんなすごい経験もできるんですよね。
社会は捨てたもんじゃない。
何も悲観することはないって思わせてくれるのはいつも人との出会いです。
にじメディアの映像作品「そらくんとたからくん」を見てくださった方は、ご存じだと思いますが、電車やバスの中でそらはなかなか静かにできません。
大勢の人がいる交通公共機関。私も一時期はマナー良く人に迷惑をかけないようにと色々なアイテムを使ったりして落ち着いて乗車することができるように試行錯誤したことがありました。
けれど、乗り物大好きなそらがその嬉しい気持ちを押し殺すことがほんとうにいいことなのか?
ずっと迷っていた時にそらを見つめながら声をかけてくれた人がいました。
「楽しそうでいいわね」
こんな風に声をかけてくれた人はこれまで一人二人ではありません。
あ、ちゃんとわかってくれる人がいるんだと
肩の力がぬけ、このままのそらでいいんだ!と思える気持ちが芽生えました。
もちろん今回のように「迷惑だ」という人にも出会います。だからそらのままで街を歩くときはとても勇気が必要です。ただ、そうした一部の人の声が大きな声に聞こえるけれど実は、同じくらい寛容に受け止めてくれる人もいるということに気づいてからは、危険じゃなければそらのままでいさせようと
思えるようになりました。
大きな声で騒ぐことを肯定しているわけではなく
そらみたいな人がいることを知ってほしいと思うのです。そしてそらにも静かにしてほしい人がいることを知ってほしい!そら自身も自分にできることを考えてほしいのです。
お互いにちょっとずつ譲り合うこと
そうやってともに学び合うことが今の社会には必要だと思うのです。
それこそが「共生」だと私は考えています。
障害を持っていても誰かに排除されることなく生きてほしい
その願いを実現するには今の社会はとてもハードルが高いです。
けれど、こんなことに負けていては生きていけない。
だから、私も自分の生き方を考え、行動していくのみです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「知ってるんだぞ」と怒鳴りつけたおじさんへ。
あなたは知らない
その言葉に私がどれほど傷ついたのかを
あなたは知らない
「うるせー」「おりろ」という以外に解決方法はいくらでもあることを
あなたは知らない
「降りろ」と怒鳴りつけている自分がどれほど恐ろしい顔をしているのかを
あなたは知らない
障害を持つ人を排除すれば自分がどれほど生きづらくなるのかを
あなたは知らない
そらがあなたに気を使ってそらなりに声を抑えようと頑張っていたことを
あなたは知らない
ずっとあなたを気にかけて優しく見つめていたそらを
あなたは知らない
あなたのその言動の先に「やまゆり園の事件」があることを
あなたは知らない
そう、あなたがあの事件に加担していた一人だということを
あなたは知らない
私も息子たちもあなたに排除されていい人間ではないということを
あなたは知らない
優しさを知らないあなたを私はとても不憫に感じていたことを
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
移動に補助が出ているのはあなたたちに迷惑をかけないようにするためではなく障害のある人が暮らしやすくなるためです。それがなければ日常生活が保てないから必要なのです
補助が出ているのだから、バスを使うな という理由にはなりません。
だから私は、知らないあなたに知ってもらうためにこれからも息子たちとバスに乗り続けます。
(いや本当は次にバスのに載るのがめちゃくちゃ怖い…)
でも、これが、そんなあなたのような人とも「一緒に生きていく」という私たちの覚悟です。
学校が、不登校の子どもたちに「無理していく必要はないよ」とというように
今の社会は、辛い思いをするのなら無理してそこに行く必要はないという声が大きくなってきました。
それがその人のためであるかのように。けれどそれは寛容な社会に見せかけているだけで、結局は排除です。その言葉に従っていたら私たちの居場所は次々と奪われてしまいます。逃げ続けて施設に入ったとしてもいつ命を奪われるのかわからない中で
安心できる居場所を探し続け、安息を得られるまで不安を押し付けられるのは当事者です。逃げ惑う辛さを考えてほしい。どこにいたって不安や危険を与えられるなんてあってはいけないことです。その場所を安心安全にすることがまずやるべきことだと私は思います。
だから、簡単に「行かなくていいよ」なんて言わないでほしい。
問題はその人を不安にさせるその社会(学校)です。正すべきはコミュニテイーの在り方です
いろんな人がいるのが当たり前の社会で(学校で)
辛い人がそこで生きていく(学んでいく)方法を模索していくべきです。
変わるべきは当事者ではなく社会の方。
この前提がなければ「選択肢」がいくら増えても分断、排除は進むばかり。誰も幸せになれないと私は思います。
映像作品「そらくんとたからくん」が公開されて3年近くになります。
ありがたいことに今でも上映会を企画してくださっています。
そらとたからがそのまま生きていける社会を肯定してくださる方々にであい
たくさん励まされています。
弱さをさらけ出せたことで味方がたくさんできました。
一人じゃないことが、希望となり勇気になっています。
だから私は安心して向き合えるのです。
そして、、、
実は「そらくんとたからくん」の続編が出来上がりました
にじメディア第4弾 上映作品 『そらくんとたからくん2~卒業編~』
詳細はからご確認ください
「そらくんとたからくん」から3年弱。今回は彼らの街の中での暮らしぶりを撮ってくださいました。
4回のトークセッションも見逃せない!
(出る人が言うのが恥ずかしい…けどほんとに豪華です!)
そして新作公開を記念して
にじメディア第一弾作品「そらくんとたからくん」無料オンライン配信#4
2023.8.16(水)-8.20(日)無料公開だそうです
詳しくはにじメディア|「弱さ」にある希望を表現する映像メディア (nijimedia.net)まで
排除のギリギリで生きている私たちと一緒に考えてください。
あ!あのおじさんにもチラシ渡せばよかった・・・
(最後はやっぱりポジティブね、私)