黒沢清さんが映画とは何かときかれたとき、答えは2つあります、と答えていてその答えが黒沢映画っぽかった。黒沢さんの映画はうそっぽさの質感がずっと日常的につきまとっているが、それは日常の中にたえずそうでない可能性(2の可能性)がつきまとうということでもある。わたしたちの2のリアル。


『スパイの妻』も前景化してくるのは、歴史的くうかんやできごとではなくて、夫と妻が会話やせいかつを重ねながらも2人がこわれていくもの、こわれていくが2人につながっているという、1だけでない2のつながりというものではないか。コナンは真実はひとつというが2のリアルがあるとおもうの。