内田百閒にもそれを感じていて「東京日記」では理由もなく丸ビルが突然消失するという世界線の違うところにとばされる私が描かれる(丸ビルの存在しない世界)。次の日丸ビルの存在する世界線に私は戻る。これは丸ビルが丸ビルとして同一化できず、やはりメタファーとして壊れた世界なのではないか。