河上徹太郎はモーツァルトに現代的不安を感じた。
和声的にもしっかり着地しない。転調が多い。半音階も出てくる。メロディも気まぐれで飛び跳ねる。
そういう特徴をとらえて、そこが近代人にフィットするんだ、モーツァルトほど現代的な音楽家はいないんだと位置づけにかかった。
第二次世界大戦に向かう不安の時代ですよ。寄る辺なき時代ですよ。
どこかに足場を掴まえようとしても、それが見あたらない。政治も経済も軍事も社会も、これで安心ということがない。自信がもてない。
ベートーヴェンのように勝利の讃歌や歓喜の歌をうたってみても、実感が伴わない。
それが一九三〇年代の感覚であり、その後、現代までつながってくる感覚でしょう。
モーツァルトを聴いていると、ベートーヴェンの「ジャーン!」という音楽は、しっかり捕まえたみたいな感じがあるのですが、モーツァルトの場合は金魚すくいみたいで、捕まえようとしてもフウッーって行っちゃうから。
そこが近代の不安の先駆的な写し絵であるというのは、モーツァルト像のひとつの究極ですね。

片山杜秀『クラシックの核心』