ホン・サンス『夜の浜辺でひとり』。全部を捨ててドイツに来たものの会いに行くといった不倫相手の恋人は来ない。愛が不在のままなんとなくうろうろし続ける映画。ロメール『緑の光線』の恋人もいなくうろうろする女性のあの感じをほうふつとさせる。うろうろは映画になるんです、といういい映画。

ヴィスコンティ『ベニスに死す』も愛が不在のままうろうろし続ける映画だが、なぜ映画だとうろうろが成立してしまうんだろう。たぶん映画の根源的な部分には、話の筋のきもちよさでなく、歩くひとをみるきもちよさ、のものがあるのではないだろうか(宮崎アニメが走ってる人を見てるだけでいいように)