わが子を愛情深く気づかう母親のことを思い浮かべてみると、どうだろうか。彼女は知っているかもしれない、世界には「いかなる意味も」ないということを、あらゆる「価値」を無に帰す大洪水が明日にも訪れるかもしれないということを。だが、まともな母親ならば、そのときにこう言うだろう。「そうかもしれない。けれども、そうであればなおさら確かなのは、私がわが子を見捨ててはならず、愛情をもってケアするべきだということだ」

  フッサール