イランのファルハディ『ある過去の行方』。キアロスタミをすでに遠く離れて、ファルハディはイランのエクスキューズなしに〈ふつう〉のチェーホフ劇のような家族劇を描いていることに凄く驚いた。この構図からもわかるが、民族のアイデンティティよりは各々の立ち位置や視線からドラマが生まれている