原作『オリエント急行殺人事件』が明るい終わりなのに対して、ポワロ=ドラマ版『オリエント』は凄まじく暗い終わりになっている。賛否両論だが、ただスーシェ版ポワロは原作の最後の事件『カーテン』から逆算して最初からポワロの探偵としてのアイデンティティ崩壊のドラマをずっと描いていた気がする

『オリエント急行殺人事件』のミソは、ひとは〈大きな主体〉を設定できるのかいなかということにあると思う。これはドストエフスキー『罪と罰』でラスコーリニコフも抱えた問題だと思うのだが、ドラマ版ポワロはシリーズが終わりになるにつれてだんだんそうした〈大きな主体〉のぜひに出会うことになる

『シャーロック』の最終回もそうだったのだが、もはや、このひとを殺したい、という個人の殺害動機があんまり意味をもっていない。死んでも死ななくてもどっちでもいいレベルでひとを殺しているひとに出会ったときに、事件の解決のぜひというよりは、主体の適切さが探偵に問われることになる

ドラマ版ポワロのいちばん最初の事件は「お金欲しさ」による非常に動機が明確な事件だったのだが、いちばん最後の事件は、欲しいものは何もない、ただ殺したい、という動機の応答がもはや不可能な事件だった。その時に事件の解決と世界の解決がイコールにならなくなり、探偵自身が問われることになった