海外ドラマ『エレメンタリー』では初の女性版ワトソン、ジョーン・ワトソンが誕生し、ホームズとの友愛と恋愛未満の関係を続けている。『メンタリスト』のジェーンはリズボンにシリーズ終わりに愛してると言えたが、愛はたぶん真理なので、真理を発見した『メンタリスト』は終わってしまう。

愛とはなんなのかというと世界の意味を(なかば暴力的かつ全的に)補完してしまうものであり、その世界の意味が愛によって補完されたときにひとは事件を終える。ぎゃくに、だから、ほとんどの探偵たちは愛を得られない。愛とは意味であり長いこれまでの時間の終わりと補完を意味するから。

興味深いのは愛によって成立したにゃんこスターで、ホームズとジョーン・ワトソンが恋愛未満を生きているのに対し、にゃんこスターは恋愛以後を生きている。私はあのコントの「にゃんこスターでしたー」というオチ(満たされた世界のオチ)は、愛によって世界が補完されている風景なのではないかと思う

愛を得られないのが探偵たちだとすれば、『ピーナッツ(スヌーピー)』は実は壮大なミステリーなんじゃないかと思っていて、なぜかというと、かれらはみんな〈愛とはいったいなんなのか〉を得られないかたちでずーっと模索しているからだ。チャーリーもルーシーもライナスもみんな愛のことを考えている

岡崎京子の『リバーズ・エッジ』は〈死体〉から勇気をもらう漫画だが、私はあの漫画の人物たちがなんで死体から勇気をもらっていたのかといえば、それは死体はもう〈私を愛してくれないから〉ではないかと思う。そのことによって愛のゲームの外にいったん立つことができる。強さが手に入れられる。

岡崎京子のようにゲームの外に降り立つことで愛への強さを手に入れる場合もあれば、小沢健二の歌のように、〈きみの名前を呼びながら・きみへただ強く祈りをささげること〉で、愛をゲームにしないかたちで、ゲームだとしたらその中心点にあえて立つかたちで、愛への強さを手に入れる場合も、ある。